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2019年11月26日03:58

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11月26日

択捉島単冠湾の連合艦隊機動部隊がハワイへ向け出港:昭和16年のこの日。真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor、日本時間昭和16年12月8日未明)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として計画された作戦であり、イギリスの植民地のマレー半島のイギリス軍に対するマレー作戦に次いで開始された作戦である。一方的な戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。
昭和16年11月1日、東條英機内閣は大本営政府連絡会議において帝国国策遂行要領を決定し、要領は11月5日の御前会議で承認された。以降陸海軍は12月8日を開戦予定日として真珠湾攻撃を含む対英米蘭戦争の準備を本格化した。11月13日、岩国航空基地で連合艦隊(南遣艦隊を除く)の最後の打ち合わせが行われた。山本長官は「全軍将兵は本職と生死をともにせよ」と訓示するとともに、日米交渉が妥結した場合は出動部隊に直ちに帰投するよう命令した。これに二、三の指揮官が不服を唱えたが、山本は「百年兵を養うは、ただ平和を護るためである。もしこの命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら、ただいまから出勤を禁ずる。即刻辞表を出せ」と厳しく言ったという。11月17日、山本は佐伯湾にあった赤城を訪れ、機動部隊将兵を激励するとともに、「この作戦の成否は、その後のわがすべての作戦の運命を決する」とハワイ作戦の重要性を強調している。11月22日、南雲忠一中将指揮下の旗艦「赤城」および「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」、「翔鶴」、「瑞鶴」を基幹とする日本海軍空母機動部隊は択捉島の単冠湾に集結。出港直前、空母「赤城」に搭乗員達が集合し、南雲中将が米太平洋艦隊を攻撃することを告げた。赤城艦長は山本長官の「諸子十年養うは、一日これ用いんが為なり」という訓示を代読している。11月26日8時、南雲機動部隊はハワイへ向けて単冠湾を出港した。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、海軍機を満載して航行する蒼龍。
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