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2019年11月24日09:15

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国語で考える6 教育制度

 さて、第二次大戦後から今日までのわが国の教育制度に触れます。
戦争時への反省から教育への国の介入が一時消えたため、教科書作りは日教組主導で進みました。これに危機感を抱いた政府は旧文部省(現文科省)の権限強化に動き、教科書検定や日の丸君が代の強制問題に逆ブレしました。
ところが、わが国が経済成長で安定するに従って、人々の教育への関心の持ち方が変わりました。家庭の子供の数が少なくなり、甘やかされて育った子供たちによって公立学校が荒れて、小中学校におけるいじめと暴力が学校崩壊を招く例も出ました。この時期に教育制度は新しい家庭像にすり寄ったのです。
受験制度は一時期の超競争社会への反省の議論から本来の意味を忘れ去りました。教育を受ける権利の平等志向は、学校教育より塾を重視する親たちによって捻じ曲げられ、塾の横行は一時期暴力団の資金源にさえなりました。
その結果はご覧の通り、ほとんどの子供が高等学校に進学し、十八歳人口の半分が大学に進学し、しかも教育の質は落ちて多くの私立学園は産業化し、卒業生は社会に受け入れられるために大学を出た後に専門学校に入りなおす必要を生むという不可思議な現象を生み出しました。
そして1990年代以降のゆとり教育。その反省が現状ですが、すでに教職員の質の低下は取り返しがつかないところまで来てしまいました。奇怪な平等主義らしきものを主張する人々によって高等教育にさえ平等、機会均等を訴えて、体で覚えなければならない技能職の貴重さをないがしろにする傾向にも拍車をかけました。
1970年代に教育改革を掲げた政党(新自由クラブ)が生まれて以来議論を深めたはずが、この40数年間というほぼ1世代以上が教育制度の不備の被害者になってしまったのですから、それを取り戻すにはそれ以上の時間がかかることは必至です。しかも教育制度審議会は大学入試を知識偏重から改変しつつあります。知識と知恵はヒトの頭脳の両輪でしょうに。
 この教育制度の荒廃は、世界に例を見ないスピードで進んだ少子高齢化に因を発するとする逃げの意見もありますが、少子化社会の到来はなにもわが国が最初ではありません。産業革命で世界の富を一手に握った英国の例を引くまでもなく、欧米で少子化と共稼ぎが普及したのは1世紀以上前です。
パブリックスクールというのをご存知でしょうか。直訳的な公共学校では正確ではありません。日本語にすると「寄宿舎制学校」と訳すべきものです。つまり欧米各国は、子供が学齢に達すると、その子を学校に預けるという社会文化を創ったのです。
親との面会が許されるのは休日だけで、厳しい教育は親のステイタスにもなりました。20世紀の初頭、イギリスで子供をパブリックスクールに通わせるために高級官僚が年収の半分の費用をかけたという記録もあります。
今日のわが国の名高い、幼稚園に始まる私立教育機関には同じ道を歩もうとしているところがあるようにも見えます。東大合格者の家庭の年収の高さという議論は、実は1世紀以上前からの話なのです。そこをうまく調整してきたのは日本が持つ価値観・道徳観だったのです。それが日本の社会から消える、見えなくなるなどと、誰が予想したでしょう。
パブリックスクールはその後米国で原住民インディアンの子供たちを教育するために親から子供たちを取り上げたと批判され、この二十一世紀に入ってもオーストラリアでアボリジニに対し同じことを政府が強制したとして非難する声を生みました。しかしこれは優れた教育制度であると思いませんか。

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