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2019年11月28日18:29

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胃癌

8月の北海道旅行から帰ってきてからというもの、どうも老母(82歳)の体調が優れません。近所の病院に行っても

「夏バテでしょう」

と言われるばかり。

9月14日(土)老母より掛電あり。リンリンリリーン!

「はい石川です。やぁ、母様ですか」

「わう、おまへ。今夜はウナギの蒲焼きを買ってうちにもってこい。夏バテだそうだからウナギ食べて精を付ける」

「さうですか。お安くはありませんが、持って行きませう」

持参したウナギの半分を老母は鰻丼にして食べて言いました。

「うむ旨い旨い。やはりタダのウナギはよい。半分残したがまたあした食べる。おまへ、食べるんぢゃないぞ」

「食ひませんよ、母様が全部お食べなさい」


9月16日(月)愚弟より掛電有り。

「あんちゃん、母様がゲロゲロ吐いてゐる。あした、病院に行くみたいだぞ。あんちゃんがウナギなんか食はせるからだ」

9月18日(水)老母より荷電あり。

「病院に行ったら、市立病院に紹介状書くから精密検査を受けろと言はれた。あしたは仕事を休んで、おまへの自動車で母を乗せてゆけ」

「さうですか。検査の予約は取れたのですね。ぢゃ、さうしませう」

9月19日(木)
松戸市立病院が移転リニューアルオープンした、松戸市総合医療センターに老母を乗せていき、内視鏡(胃カメラ)検査室の前で検査を終えて出てくる老母を待っていると、横の出入り口から白衣を着た医師らしい人が出てきました。

「石川さんの息子さんですか」

「えぇさうです。息子です。次男です」

「お母さんの検査結果ですが、端的に言ひまして、胃癌です。まうかなり進行しています。これから更に詳しい検査が必要ですから、とにかく本日から入院してください」

「さうですか。今後はだうなりますか」

「今後の治療方針としては3つの候補があります。一つ目は何もしない。積極的な治療はせずに、苦痛を取り去る緩和ケアに専念して、専門の施設に入ってできるだけ穏やかに人生の終焉を待つといふもの。二つ目は最低限の抗癌剤治療をして、できるだけ人生を長らえつつ、時期が来たら、緩和ケアに移ります。三つ目は積極的に癌と闘う。胃の全摘出を行い、他にも転移があれば、放射線治療で癌を殺します。ただし、胃を全摘出するとしばらくは口から食べられなくなりますから、免疫力が急激に下がって、かえって寿命を縮める危険があります。だうか、お母様のご希望を第一に、でも他のご家族も交えてよく話し合ってください」

「さうですか。母の性格から言ふと、胃の全摘出を選びさうですがね」

「えぇ、ですからそこはよく話し合って下さい、ぢゃ私はひとまずこれで」

正規の出入り口から老母が出てくると、医者はすぐに行ってしまいました。

さて、老母にどうやって伝えるかですが、まぁ笑って誤魔化すことにしました。

「だうした。誰と話してゐたのだ」

「今母様の胃の中を見た医者ですよ」

「それで、医者はなんと」

「あっはっは!母様、ダメダメ、駄目です。まう助かりませんハッハッハ!胃癌です。まう重度の胃癌ですからとても助かりゃしませんよ。こりゃ、覚悟を決めませう、ハッハッハ!」

「なんと!胃癌か!」

「えぇ、ステージ4だからまうジタバタしても無駄ってもんです。それで鰻丼食ってゐたら、そりゃ嘔吐もするでせう。気楽にいきませう、ハッハッハ!」

「ばかもん!親の癌がわかってそんなに馬鹿笑ひしてゐる奴があるかっ!」

「だって、なっちまったものは仕方ないですよ。これからすぐに入院で、午後にはCTスキャンを撮るさうですよ。右往左往しても駄目なものはダメ」

入院となれば色々準備がありますが、急に決まった入院なので、病院と実家の間を何度も往復して、勝手がわからなくなっている実家の中を右往左往して老母が指示する物を持参します。

夜、老母の病室に行くと、昼間の医師がいました。促されて病室を出て、コンピューターの前に座って、胃カメラとCTスキャンで撮った画像を見ながら説明を聞きます。

胃には、富士山の宝永火口を思わせる立派な癌の盛り上がりが3箇所。また、CTでは、肝臓とリンパ節への転移を意味する白いポチポチが、二十数箇所有りました。

平成7年に死んだ父は、大腸から肝臓、肝臓から肺へと癌が転移して、最後は肺ガンによる呼吸不全で死にましたが、母の方針で父には正しい病名を知らせず、父は最後まで肝硬変だと思ったままで死にました。私はそれを哀れと思っていましたので、老母には情報をきちんと伝えることにしました。

家族に一人重病人がでれば、家族の戦いも始まりますから、病院から実家に戻った私は、愚弟・愚兄を呼んで、医師から聞いたとおりのことを話します。さしあたっては、一週間後に、外科医との面談がありますので、そのときまでに家族としての意見をまとめなくてはなりません。

兄弟三人の見解は、さしたる議論もなく、内視鏡検査をした医師(内科)が提示した中の「二つ目(最低限の抗癌剤治療をして、できるだけ人生を長らえつつ、時期が来たら、緩和ケアに移る)」に集約されました。

さぁ、あとは老母の見解ですが、これはやっかいでした。

面談で、外科医は内視鏡を撮った内科医と同じことを言いましたが、老母が食い下がります。

「私は外科医ですから手術が仕事ですので、取れと言はれれば取り方は知ってますけどねぇ、しかし、なにぶん石川さんは御高齢でいらっしゃるし、手術後に抗癌剤治療の負担に耐えるのは、本当に大変なんですよ」

「先生、悪い物は全部取っちまって下さい。本人が取れってんだから、いいでせう。まだ死ぬわけにゃいかないんですよ。一番下の子の面倒はあたしが見てるんです。下の子はまう本当にだうしやうもなくて、離婚してうちに帰ってきてるんですから、まだまだあたしが面倒みなけりゃ」

可哀相に、医者の前で「だうしようもない」と言われた愚弟(49歳)は下を向いています。

「いやぁ、それでも立派に成人なさってお仕事もされているわけですし、なにより御高齢ですから」

「あんた二言目には御高齢、御高齢ってねぇ、俳句の会に行きゃぁ、あたしより御高齢はいくらだってゐるんだ。八十代後半だの九十代だのなんてのは珍しくもない!あたしゃまだ八十二なんだよっ!」

愚兄が割って入ります。

「まぁ、母様。まず抗癌剤の治療を一度受けてみやうぢゃありませんか」

私も兄に加勢します。

「さうですよ。抗癌剤の点滴なんてだうってことないといふのであれば、それから手術を考へたっていいでせう」

これから世話になる皆に手術を反対されては、老母もぐうの音も出ません。結局手術はしないことにして、「二つ目」の方針で行くことにしました。

最初の抗癌剤点滴で、やはり老母は激しく嘔吐しました。夜中の嘔吐の処理に看護婦さんたちは大変だったようです。

医者の言うことは聞いておくものです。
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