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2019年10月21日04:41

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10月21日

文部省が、神宮外苑競技場で学徒出陣壮行大会を実施。雨の中7万人が分列行進:昭和18年のこの日。学徒出陣(學徒出陣)とは、第二次世界大戦終盤の昭和18年に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。学徒動員と表記されることもある。日本は昭和12年以来、当初は中華民国との日中戦争(支那事変)、続いて昭和16年からはアメリカ・イギリスなど連合国との太平洋戦争(大東亜戦争)を続けていた。特にアジア・太平洋地域に及ぶ広大な戦線の維持や昭和17年以降の戦局悪化で戦死者数が増加したため、次第に兵力不足が顕著になっていった。従来、兵役法などの規定により大学・高等学校・専門学校(いずれも旧制)などの学生は26歳まで徴兵を猶予されていた。しかし兵力不足を補うため、次第に徴兵猶予の対象は狭くされていった。まず昭和16年10月、大学、専門学校などの修業年限を3ヶ月短縮することを定め同年の卒業生を対象に12月臨時徴兵検査を実施して、合格者を翌昭和17年2月に入隊させた。この昭和17年には、さらに予科と高等学校も対象として修業年限を6ヶ月間短縮し、9月卒業、10月入隊の措置をとった。そして、さらなる戦局悪化により翌昭和18年10月1日、当時の東條内閣は在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)を公布した。これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するものである。この特例の公布・施行と同時に昭和十八年臨時徴兵検査規則(昭和18年陸軍省令第40号)が定められ、同年10月と11月に徴兵検査を実施し丙種合格者(開放性結核患者を除く)までを12月に入隊させることとした。この第1回学徒兵入隊を前にした昭和18年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ、東條英機首相、岡部長景文相らの出席のもと関東地方の入隊学生を中心に7万人が集まった。出陣学徒壮行会は、各地でも開かれた。しかし翌年の第2回出陣以降、壮行会は行われなかった。学徒出陣によって陸海軍に入隊することになった多くの学生は、高学歴者であるという理由から、陸軍の幹部候補生・特別操縦見習士官・特别甲種幹部候補生や、海軍の予備学生・予備生徒として、不足していた野戦指揮官クラスの下級将校や下士官の充足にあてられた。昭和18年10月には教育ニ関スル戦時非常措置方策が閣議決定され、文科系の高等教育諸学校の縮小と理科系への転換、在学入隊者の卒業資格の特例なども定められた。さらに翌昭和19年10月には徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられ、学徒兵の総数は13万人に及んだと推定される。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、出陣学徒壮行会。
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