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2019年10月07日20:16

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『天寿国の末裔』 744『安積親王暗殺』 

『天寿国の末裔』「安積親王暗殺」

【天平十六年】(744)
○『閏一月十一日 天皇、難波宮に幸し給ふ。』

 この日、安積親王は脚の病のため(河内)桜井の頓宮から恭仁京に還った。

 難波宮に天皇は行幸されていた。それを追って安積親王も難波宮を目指された。しかし、この途中で脚の病になられた。

○『閏一月十三日 安積親王薨じ給ふ。時歳十七。』   

 その二日後に安積親王は死んでしまう。聖武天皇と県犬飼広刀自との皇子である。次期皇太子として有望視されていただろう。

それが、唐突な死である。安積親王は謀殺された疑いがある。

この事を巡り諸豪族の勢力が揺れ動く。皇位継承問題はこの頃大きな政治問題である。

聖武天皇と光明皇后も歳を重ねては問題解決の次期皇子を望むのも無理がある。

残念ながら阿部内親王が天平十年に皇太子とされるものの女性である。この女性の皇太子とする措置は異例であり、基王の亡きあと、聖武天皇の意向によりそのようにされた。聖武天皇は皇嗣・皇緒は藤原氏系であることを望まれたようである。

しかし藤原氏に反感を持つ豪族達は安積親王が天皇に即位することをひたすら願っていたのだ。橘諸兄や大伴家持などは安積親王の即位を強く望んでいた。

よって兼ねてから藤原氏の間では「安積親王」が皇位を継承し即位すれば、はたして藤原氏が天皇家の外戚であることが可能かどうか、問題視されていた。

安積親王に何の罪は無くとも、その存在そのものが藤原氏の立場を危うくする。

藤原氏は躊躇無く問題を解決すべく行動したに違いない。よって「謀殺」したにちがいない。もし天皇家の外戚であることができなければ凋落はさけられない。

それでは長屋王を謀殺したことも無意味となる。彼らは自らの事実存在の真価を知っている。

何をなすべきか。政治の世界ではするべきことに躊躇は無用なのだ。


○『二月一日 茨田王を恭仁京に遣わして、驛鈴・内外の印を取らしめ、朝集使等を難波宮に招く。

 天皇は臍を噛んでいたに違いない。実子が暗殺された。親としての無能を痛感する。藤原氏への不信は憎悪にすら発展する。

 しかし直接「藤原氏に罰を下すーこの時は仲麻呂」は無いようだ。光明皇后の立場を慮ったのだろうか。

○『二月十日 天皇、和泉宮に幸し、十三日、還り給ふ。』


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