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2019年11月06日12:31

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ぺリリューの唄

■激戦地・ペリリュー島から生還、永井敬司さん死去
(朝日新聞デジタル - 11月06日 06:55)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5853222

第一次大戦以来、日本の委託統治領になってたパラオ・ぺリリュー島で
太平洋戦争後半期の1944年、米軍の侵攻上陸が予想された
守備にあたっていた日本軍将兵は玉砕覚悟で戦う決意を示していたが、
そこへ島民達が「一緒に戦う」と申し出てきた
しかし守備隊長中川州男陸軍大佐とその幹部らは「馬鹿やろう!天下の皇軍が貴様ら土民とともに戦えるか!」と一蹴し、
島民達は本島への強制疎開を命じた

30年来、日本との親交を深め合ってたと思っていたパラオ住民らにとってこの対応は意外で、
やはり日本人は優越主義の統治者でしかなかったのかと落胆した

そして疎開船が桟橋を離れる日、ぺリリュー住民らは見送るものもなく島を離れるのかと思った矢先、
なんと岸壁で泣きながら「ふるさと」や「われは海の子」を絶唱し、手を振り続ける日本軍将兵らを目撃した

その時ぺリリュー住民らははじめて強制疎開と彼らの涙の意味を理解した



今でもパラオのお年寄りは片言の日本語を覚えていると聞きます(´`)
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