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2019年09月21日03:45

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9月21日

関東軍の要請により朝鮮軍指令官・林銑十郎が独断で満洲に出兵。柳条湖事件が国際的な事変(満州事変)に拡大:昭和6年のこの日。満洲事変(滿洲事變)は、昭和6年9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件)に端を発し、関東軍による満洲(現中国東北部)全土の占領を経て、昭和8年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変。関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。
林 銑十郎(はやし せんじゅうろう、明治9年2月23日〜昭和18年2月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍大将。従二位、勲一等旭日大綬章、 功四級金鵄勲章。林は常に周囲の最強硬論を鵜呑みにするところがあったため、陸軍部内では革新派のロボットになりやすいと見られていた。満州事変が起こった際、朝鮮軍司令官の職にあった林は、強硬派の神田正種参謀の進言を入れて、中央の指示なしに朝鮮派遣軍を満州に進め越境将軍(えっきょう しょうぐん)の異名をとった。天皇の勅裁を受けていない軍隊の国外派兵は統帥権干犯である。しかし林はそんなことには意も介さず、むしろ金谷範三参謀総長から「命令が出るまで増援はならぬ」と命令されたことに対して「意外なる命令あり」と日記に記すほどだった。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、林銑十郎。林はカイゼル髭で有名だった林銑十郎。
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