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2019年09月01日22:23

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エッセ・ホモ(この人を見よ)〜自分以外は全く語らない、軽薄な超人・矢沢永吉。

※ファンからものすごく誤解されそうだが、ものすごく誉めてます※

私は彼に全く接点がない。
個人的に音楽全般が苦手、ということもあるんだが、名前しか知らなかった。

ある時、テレビで彼のインタビューを流し見してた。

何だ、この人?、と思った。

矢沢永吉 2夜連続TV出演が話題「こんな面白い人だったとは」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=5771438

喋り方が軽薄なのだ。まるでチンピラである。←(注)誉めてます。ホント。
内容も軽薄だった。まるで10代の小僧である。←(注)誉めてます。ホント。

自分の事、自分の音楽しか語らない。話に他人が全く出てこない。

人間、ある程度、年齢を重ねたら、自分以外の「外部」を語りたくなる、語ってしまうモノだ。
家族がどうだ、友人がどうだ、会社がどうだ、世間だどうだ、社会がどうだ、政治がどうだ、日本がどうだ、世界がどうだ、歴史がどうだ、音楽界がどうだ、と外部を、自分以外を語り出す。

この私が典型例だが(笑)、自分以外の、政治だの、歴史だの、宗教だの、「外部」を語り出す。それはある種の「弱さ」なのだ。自分だけで勝負できない証拠だ。

矢沢永吉の話には、自分しか出てこない。賞賛でも批判でも他人が出てこない。
それも、意識的に他人を語らないのではなく、ナチュラルに他人を語らない。
外部が無くても平気。恐ろしく「強い人」である。

YAZAWAは、宗教の修行者よりもモノスゴイ。
宗教には自分以外、神や仏が対象として存在するが、
YAZAWAには神も仏もいない。「オレ」だけ。

桑田佳祐なんかは「ラブ&ピース」を歌う。
ラブもピースも他者との関係性だ。他者がないと成立しない。他者への依存だ。

長渕剛なんかは「ニッポン!」とシャウトする。
所属がないと自分が肯定されない。丸裸の弱虫なのである。

桑田佳祐も長渕剛も他のミュージシャンも他者との関係を歌ってるのは同じだ。

しかし、YAZAWAは「ラブ&ピース」も「ニッポン!」も唄わない。

まあ「ニッポン!」と歌わないのは、「ジョニー」的要素もあるだろうが(謎)、元からそっち方面に本当に興味が無いんだと思う。

YAZAWAだってラブソングを歌ってるんだろうが、その歌はファンの実生活の恋愛に直接刺さるような、泣いてしまうような、リアルなものではない、じゃなかろうか?
おそらく、カッコイイのだ。曲も歌詞も。
ドロ臭い実生活の恋愛からは遠いフィクショナルな歌だと思う。

師匠も弟子も、上司も部下も、先輩も後輩もいない。
仲間もいない。「バンド仲間」という言い方もあるが、YAZAWAにとってバンドも仲間ではない。
バンドはパートナーではなく、「カネは出すから、キッチリ演奏してね」というビジネスパートナーだろう。悪く言えばコンビニ店長とバイトの関係である(笑)。

YAZAWAに他者(バンド仲間も、ラブソングの相手すら)はまったく必要ない。
しかも努力、克己、修行の果てにそうなったのではない。
少年時代から、そのまんま、他人や社会に興味が無いのだろう。
意識して修行を積んでいないから自然なのだ。
喋り方が軽薄=飾りが無い=外部からパクった知識じゃない=ナチュラルなのである。

生前解脱者というべきか、実存主義者というべきか、ニーチェの超人というべきか。

何なんだ、この人。と驚いた。

もちろんコンサートに行ったこともないから、「違うよ!」と言うのならばファンからご教授願いたいが、コンサートでは他人や社会を語っているかもしれないが、少なくともテレビでは見たことも聞いたこともない。

恐るべき超人だ、と私は敬服している。音楽は聴かないけど。


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