義父を訪問しました。
今回はヘルパー事業所訪問と、義父の家系図を作ったので、渡すのとそんなのが目的でした。
義父の父親は戸籍に載って居ません。弟も同じ父親で戸籍に載ってない。
調べました。色々と。ちょっとわかりました。いとこのお宅に行ったとき、少しだけ情報があった。情報源は義父です。
で、家系図を見せて、「いとこに会ってきた」と言うと、「大垣迄行ったんか。」とか言う。行きましたよ。話はいとこに聞け、俺はお前たちには話さん とか言ったのは、義父ですから。
したらば。
昔話をよくしゃべる。
絶対に話さないと言っていたことをペラペラしゃべる。
家内が知りたいのが良く分かったんでしょう。
話の内容は私にはわかりません。家内の実家の話や親戚の話、義父の子供の頃の話なんかですからね。
「魚は後ろには泳がんで」と言うのは、こういう話です。
貧乏でお父さんはばくち打ちだった と言う家で、おとうさんが他界した後、私生児として生まれた義父と弟 と言う状況でね。
女の子はみな養女に出して、云々と言う。
戸籍上養女に出したわけではなく、事実上養女に出して、受け入れた先の家が、男の子を養子にとって、戸籍上はそこに嫁に行ったようにしてある。こうすると、養女に出した先の家に迷惑が掛からない。小学校の学費だけは実家でどうも出したらしい。
で、学問を付けさせたかった、義父の母は、最初の夫が他界した後、義父と弟を持ったわけですけれど、義父と弟だけは高等小学校まで必死で出した。女の子は小学校4年生で卒業だそうです。それから養女に行った先から紡績工場に女工に出ている。
中学校に行かせる学費は捻出できなかったとか。
当然、小遣いなんぞ、ろくにもらえないわけです。
昔の子供は考えた。
自分で小遣いを稼ぐ方法を一生懸命考えた。
で、おじさんが魚の捕まえ方を教えてくれたそうです。
魚は前には泳ぎますが、後ろへは下がれません。
なので、後ろをしっかり追い詰めておいて、が!と頭やら胴体やらをめがけて捕まえるそうです。勿論、素手で捕まえるんですよ。
それを実践して見せている時の義父の真剣な顔。
それ見てね。
魚は後ろには泳がんで と言う意味が良く分かりました。網ですくえばよいと思うでしょ?私もそう思った。「網なんか貧乏で買えん」なるほど。だから素手で捕まえる。
他にもいろいろやったそうで、貝取り、スズメ打ち、鳩打ち、新聞配達、とにかく出来ることは何でもやった。
スズメ打ったり、鳩打ったりするには空気銃がいる。
小学生の時に自分で稼いだ小遣い貯めて空気銃を買ったら、お母さんにえらく叱られて取り上げられてしまった。お他人様の目に入ったり、耳に入ったり、怪我をさせたらどうする と言う事だったそうです。
高等小学校2年(高等小学校は当時2年までで卒業です)行ったそうですが、その頃には買っても良くなって、スズメや鳩を良く打ったと言っております。鳩の方が高く売れる。だからスズメで練習して勿論売るんですけど、鳩を一生懸命打った と言う。
スズメは分かるよ。鳩はどうするのかと思ったら、鳩も焼き鳥にするんですって。
一般的に焼き鳥と言うのはスズメだったと言います。鳩も屋台で売っていたそうです。
丸焼き?串にさして、あの焼き鳥の形?
そこまでは聞きませんでしたけど。
そういう苦労話を子供たちには一切しなかった義父だそうです。
家内が家系図作って(時間とカネがかかります。戸籍も改製原戸籍を追いかけて行かないといけないので、1通750円かかります。何通とっただろうか。)持っていって、それを見た義父は言われなくてもどんどんと昔話を始めました。
戸籍取って家系図にまとめるなんてことは、義父には思いつきませんし、家内がパソコンで作ったものですから、非常に整然としている。響くものがあったみたいです。
戸籍に載って居なくて、実はこうだったみたいな話も沢山してくれました。
昔の貧乏は暮らすために必死で色々な手段を取った。そんな話です。
高等小学校に行った後、義父はきょうだいの家の紙屋さんに丁稚に行ったそうです。
それからちょっと悪さをするようになるのね。
いつからかは知りませんが、今でいうチンピラみたいなことをするようになる。
お母さんに叱られて、それで伊勢にあった、どこかのおじいさんが建てて既になくなっている家(バラックだそうです)に移り住んで、それで家内が生まれたと。
家内が貸家だと思っていた生まれた家は、誰かが建てたバラックでした。
それから今の実家の家を、土地を買って新築したそうで。
その家がまだ当時のまま、残っています。
魚は後ろには泳がんで は非常に感銘を受けました。
私、そんな事思ったことがない。
魚必死で取ったことがないからね。
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