今日は、 生業の設備業の仕事が、 71歳の人間として、かなりきつかったためもあり、
仕事後、「解りやすい宗教批判」コミュに、書きこんでくださった方にコメントを入れただけで ダウン、という感じになってしまってます。
気管支炎ぎみの咳をはやく治す意味でも 早く寝たいと思います。
性について(その4)として、
あれ? という感じで今気が付いたのですが、 一日分、書いたはずの「日記」が消えています。
これ、 アメブロの方には まだ発行しない段階でコピペした形なので、 それで、こちらもちゃんと発行したと安心してしまった形のようです。
きょうは、真逆に、 こちらにそのコピペをコピペしておきます。
(この最後に書いてありますように、 明日は「美容って何」がテーマに、 明後日が「水商売の世界について」となります)
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性について(その4)
その4、では、予定としては、水商売の世界について書くつもりだったのですが、
その前に、 二点ほど、 どうしても書いておきたくなってしまったことがあり、今日のはあまり性とは関わらない話なのですが、 その一点目となります。
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これは、 「解りやすい宗教批判」コミュへの「つぶやき」として 先ほど書きこんだものです。
昨日 キリストについて触れたので、どうしても キリストの言葉と後のキリスト教のことで その違いを もう一つ はっきりと語っておきたい点がでてきてしまったのです。
神だけは、どんな悪をも許しているんです。 その因果論をキリストは 群衆がとある娼婦に向かって石を投げている中に、命がけで入っていって、説いたというのに、 ・・・
ともかく、それなのに、最後の審判での地獄なんて存在しないんです。
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【地獄思想への批判】
じ、実は実は、 私は地獄思想、地獄信仰だけは、 徹底的に批判したい人間です。
他の面に関しては、どんな宗教にも できうる限り寛容でありたい人間なので、 こんなコミュを作っておきながら、批判よりも、擁護するほうが多くなるかもしれないのですが。
しかし、キリスト教にしても、その面、ヨハネの黙示録などの「最後の審判」に対する言及だけには どこまでも批判的になってしまう人間なのだ。
そういう思想もあったっていいじゃないか?って?
そうですか?、何のために?、 何のために!
教会権力のために?、 布教のために?
・・・
日蓮にしても、その面だけはおかしいと思います。
「それ浄土と言うも地獄と言うも他には候わず・ただわれらが胸の間にあり、これを悟を仏と言い、これにまようと凡夫という」と言っておられるので、 たぶん、
地獄について詳しく書いている御書「顕謗法鈔」も、 十王なんとか鈔とか回向なんとか鈔とか言うのと同じで 別の学者のような弟子が、宗教権力のために(キリスト教で言えば学者のヨハネのように)かってに書き加えてしまったのだと思うのですが、
当時では、強く真実を語るにはそれしか方法が無かったのだとしても(四箇の格言がそうであろうように)、 地獄幻想を引き合いに出すのは 浅はかでしかないと思えてしまうのです。
「顕謗法鈔」は、 明治8年に火事で消滅している御書ですから、 今の科学での御真筆か否かの判定は出来ないのではと思うのですが、
日蓮系の学者の中では、その学問性の深さ(?)から 御真筆とされているようなのです。
でも 五時八教にしても、一念三千にしても、そうした立て分けとかの意味合いは大して奥深くなんてありません。
だから、
私の考えでは、 その「顕謗法鈔」も、 学者がそれらしく作った偽物だろうと思えるのです。
でなければ、 私は南無妙法蓮華経には謙虚になれても 日蓮は信じられなくなるという矛盾に陥ってしまいます。
ここでは、これ以上の詳しいそのへんの私の考えについてはともかくも、 このコミュをたちあげた管理人の私という人間は、
「地獄の存在だけは認められない」それだけには、徹底して反論批判する人間だということを お知らせしておきます。
地獄幻想の、集合的無意識とも言えてしまう、しかもかなり強烈なリアル幻想の世界を 私自身はっきり言って知っています。
だからこそ、 それでも地獄なんてないと主張するわたしのそのことへの批判は どうしても 手厳しいものとなってしまうのです。
そのことは、知っておいてください。
よろしくお願いします。
▲▲▲
すみません、 まだ 喘息ぎみの咳が治っていない(たぶん気管支炎)ところで きょうもすでに12時十分前です。
ここまでとさせていただきます。
明日は、 「美容って何?」ということについて書かせていただきます。
その次が 水商売についてとなります。
よろしくお願いします。
おやすみなさい(^_-)-☆♪
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