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2019年07月16日00:21

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わたしには、 地獄思想だけは受け入れられない。

私は あえて 「宗教批判」のコミュを作った。

しかし 私は どんな宗教も それによって心が救われる世界をも見てきた。

なので、 ある一つのことを除いては どんな宗教の人の気持ちにも寄り添い、 どこまでも傾聴し、応援もしたい。


その一つの点を覗いては、すべて認めてあげたい。

同じ弱い人間だからだ。

ひとつだけ、を除いて、


それは 地獄思想だ。

地獄思想を物語でも方便でもなく、 絶対者の権威の形で語ることで、 権力者と癒着する宗教形態は 認めてはならないと思う。

ですが、 それもまた 人間の弱さの現象の一つ。

あくまで 徹底的に寄り添いながら そのことだけは曲げないと言う態度を貫こうと思っている。

私自身はそのように生き抜くつもりだ。

しかしながら、 同時に 宗教に対しては 疑問を持つ姿勢や能力も養わてれゆくべきところだとも思うのだ。

そうすることで、 自律精神や 社会改革の能力を高めてもらうことが出来るからだ。

なので、「解りやすい宗教批判」というタイトルは、それ自体が  宗教の批判のための批判の世界なのではなくて、  私自身は そのさらに反論を、つまり擁護に次ぐ擁護を そのコミュでも貫くつもりなのだ。

幸福の科学、 幸福論を中途半端な科学として語り、実際には非科学的なとんでもない空想を事実と語って うまく権威づけている宗教、とかとか その幻想性を批判する人も大勢いるだろう。
そのへんを、私自身もはっきりと語りつつ それでもそこまでなら、それもまた 絶対者を立てる宗教としては 認めうることだよという反論を おそらく御用学者以上に深い立場で書いてゆくこととなるだろう。

しかし、その中で 地獄思想を語る部分に関しては、私も認めることはできないのだ。

顕正会、この形式を重んじる形での 精一杯の国立戒壇論も、わたしはむしろ応援する。 なぜなら、 南無妙法蓮華経自体は、 ほかに考えようもないほどすぐれた 人間の生きる足元の世界を表現した言葉だからだ。

しかし、 その中の 地獄思想を もし日蓮が自筆で書いたのだとすれば 私は日蓮をも信じない。

その指導者は、私には怖い人物に見えてしまう。

しかし 信者たちは 真剣なまでに盲目的になることで、むしろ突き抜けてしまっていて本当に安定した心を その単純な7文字の唱題から得ているのだ。

実は、もし そんな地獄思想を持っている限り そこまでの盲目性を生み出す指導の仕方は オーム以上の危険性を持つことにつながってしまう。

でありつつ、 その危険性を自滅させる唯一の方法は、それもまた 徹底して彼ら彼女らに寄り添う道しかないはずなのだ。

神や仏のような 人間をはるかに超えた 人間の心の因果を理解できる存在が 人間を罰したり、悪を許さなかったりしたとしたら、  それは その存在こそが 最大の悪魔であることを意味する。

そんなことを信じるのであれば それは謙虚な信仰とは何のかかわりもない 邪道でしかないのだ。

そのことだけは、はっきり、そうした宗教に寄り添う人たちも 強く言っていいのだ。

同じ人間として信頼して、それをはっきり言うのであれば、 指導者はどうだかわからないのだけど、 彼ら彼女らはみんな その心は通じる。

どんなに、有能なずるがしこい誘導が、その盲目性を利用する形で行われ続けたとしても、最後には、 その地獄思想は 自滅し破壊されてしまうだろう。

もしかしたら、自らがだましきっていると信じている、その信者たちの手で それは、やがて葬り去られ、自滅してゆくだろうと 私は信じている。

もちろん、その時には、指導者の中にあるかもしれない嘘の世界も自滅してゆく。


同じ血の通った人間どうし、私はすべての人間を信じたいし、信じて生きようと思う。


いや、そう信じるからこそ、あえて作ったのが「宗教批判」コミュ、 解りやすさだけをもとめた自由に主教をとことん批判するコミュなのだ。


今日は以上です。

おやすみなさい(^_-)-☆♪

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