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2019年06月30日23:53

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下賤芸能教団の宣伝のためにもアメブロを再開しました。

「下賤芸能教団」という名前は   真剣な気持ちの必然なので変えられません。

下賤という文字だけでも ミクシ内では検索できますが、 それは すでに知っている人しか検索しない文字です。

なので、 そこは工夫が必要となるのです、 そろそを アメブロを再開したい時期でもあぅたので その千点のためにもアメブロを 数か月ぶりで再開しました。

そのご挨拶の文をこちらにも コピペしておきます。

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テーマ:ブログ
みなさん、久しぶりです。

ミクシィでいろいろ 訪問介護の夜明けを求めて 模索していたのですが  焦っていると言うのではなく、 ただただ必死の思いの必然から   

かねてより考えていた宗教改革のためにも、 新しい宗教を作ってしまうことにしたのです。

ですが、

宗教の設立自体 怪しげと思われてしまう事もわかっていますが、けだしその宗教の名前は、さらに
怪しげであり、かつ そこに入るには心理的壁が生まれてしまう名前となります。

宗教であるのであれば そして真剣に宗教改革をしたいのであれば、きれいごとの名前ではなく、かっこいいなまえでもなく、 ただただ本気の直球のネーミングしか考えようがなかったからです。



私の考える宗教の基本は 人間をどこまでも信じれるようになることです。

人間を深く信じられるようになれば それこそが 何も解らない人間の脳であっても 神仏を何の盲目性も無く 信じるのと同じになるという信念の下、 ならば、この介護革命の宗教の主体は むしろ悪人の改心の世界が基軸となるべきだという直球勝負の道を、そのままネーミングしたのです。

こちらで それを書いても、、まだまだその真意は簡単には解ってもらえないと思いますが、

 名前は  下賤芸能教団、 という名前です。

以前のように、 その教団の思想の中身を そのままこちらに書いてゆくブログを再開してゆくのであれば  あちらのミクシィでの活動をする時間は無くなります。

しかしちょうど その名前のミクシィコミュは、 中身を 世界一豊かにして 人を待つ体制を作るべく  その中のトピやつぶやきメッセの 質と量を 増やし始めているところなので その中身をそのままこちらにコピペしてゆけば  その中身の真意も深みも解っていただけるようなところまで 進み始めています。

なので、こちらにその実態をコピペしてゆくことにしたのです。

もちろん、簡単な解説とともにです。

ただ、最初は 解説自体が主となります。

すぐに、そのコピペを始める前に、以前からの読者の方にも解りやすく その経過などをお話させていただきたいからです。

深く認知されるまでは  誤解され むしろ毛嫌いされてしまうかもしれない行為であり名前であることも 解っているつもりです。(今現在、コミュメンバーもまだ 発起人の二人をのぞけば、 あと一名、たった3人しかいません)

しかし認知され始めるならば その内容の深さや情熱の圧倒的な量と質と、名前とのギャップ(あえてそうしたのではなく、必然的にそうなった名前とのギャップ)は、 真逆に、いきなり広がり始める可能性をも、 キャッチコピーの法則からも暗示されていて、 あくまでこれは、ただの無謀な賭けなどではないのです。

未来のことですから賭けの要素はどこまでもある、「やってみているしかない行為」にはちがいないのですが、これは人間の良心と理性にかけた 人間としての知性の
闘いの必然の道すじなのです。

実際には、このままでは、宗教団体として 市や県から認められる形ではありません。

会員登録とか 入会儀式とかがあるわけでもなく、信仰対象が人間の心だけというのであれば、本来はそれが 宗教の帰結ではあるにもかかわらず、 今の日本の行政からは正式な宗教団体とは認められないからなのです。

でも これこそが これからの宗教の在り方であるのであれば そしてそれが 今の時代に必須の行動を生むのであれば 私は 勇気をもってそれを宗教だと主張する信念に立ち上がらなければならないと思えています。

その信念の中身は、これから いろいろと書いたり あちらのその内容をコピペしたりして解っていただけるようになってゆくでしょう。

けれど こうした時の 人のご縁の世界というものは、すごいものです。

なんと神道の神職、その中でも 国家神道を超えた形で、 日本の太古の一万年以上もの大自然の恵みの中の素朴で平和な(地球上でそんなに長い間、争いの跡が考古学的に見つからない地域は他にない)縄文時代の精神を 古神道さへこえてさぐってゆこうとしているある研究所の神職養成機関で勉強された方が 偶然にも 発起人のお一人となっていただけたので、 ある方法を使えば それは実際の宗教団体としても認められる形が可能となり、  未来においては さらなる権威、ステータスも自然に得られる形になっているのです。

当たり前の話ですが、こんな宗教改革を 税金逃れの金もうけの手段に一つにしようなんていう考えは ゼロなのですが、 活動が目的であれば活動資金は 普通に得られた方がいいわけです。

実は 高齢者の介護の世界では その連帯のためにも事務所設立式のビジネスのためにも 資金はほとんどいりません。

しかし、 古代からに日本にあった 当たり前の介護の世界は、 高齢者介護だけでなく、子供たちが苦しんでいれば当然たすけることもその範囲ですし、盲目の人がいればその心身に寄り添うのもその道です。

そしてその中には 単なるビジネスを超えて 大きな活動資金が必須となる世界もあるのです。

今の今は、ネーミングからも よほど宣伝しないと、よほど認知される活動をしていかないと このまま何も進まないコミュとなってしまいますが、 その努力の先には、まるで神が応援してくれているかのような未来が待っている形となっていたわけです。


最初にミクシィに 高齢者の訪問介護のための巨大な、けれどゆるやかな連帯を求めていた時には、 私の目的には とあるトータル訪問介護のビジネスを自分自身が開拓してゆく考えも持っていました。

しかし、 ビジネス自体は、ここにて私の使命の道ではないと気が付いたんです。

それは まず計算上は かなり楽な生活が出来るビジネスなので、それこそ認知されさへすれば すぐにでも始めることが出来るビジネスであるにもかかわらず、 今はそれよりも 宗教家としての 極貧の道を選んでいます。

今の超忙しい環境のままにも 72歳の老人には時にはきつい労働をこなしながらも、であるからこそ 自分が下賤者たちのリーダーの模範となる形の役割をそこに見出すからです。

ビジネスは 他の人たちにやってもらえばいいわけです。 その人たちを学習させるビジネスが必要ならばそれもまた 他の人がやれるように その宗教内で無料で、個人的にその最初の軌道を教えるという形です。

また宗教団体という形式から考えると ビジネス案ははるかに幅広く考えることが出来ます。 まだ高齢者介護のビジネスのように細かい計算とかはやっていませんが、 そこにはそのチャンスならあると思えます。

私自身がお金を必要としている人間ではないので、そんなふうにお金は、信頼のもと 正しく回してゆけばいいだけの話なのです。

いまこそネット時代にふさわしい本物の宗教を作っていく時代が来たのだろうと思えています。そしてやはり 私の天職の本当の姿はそこにあると思えてきています。

もし、このブログを これからも私を信頼してくださり、読み進めてくださり、 なるほどと思えてきて すべての誤解がとけてきたなら、どうか このブログの読者の方も  この変なおじいさんを、そしてこの変な名前の(中身はその真逆のすばらしさを持ったものであるはずの)この新宗教を 応援してくださると ありがたいところです。

是非是非
よろしくおねがいいたします。

きょうは 御挨拶です。

以上、


おやすみなさい(^_-)-☆♪、   でました、なつかしいやつ"(-""-)"(^^)/。


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