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2019年05月09日12:47

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ユダヤ人女性をソ連軍から守った日本の外交官たち

2019年05月08日

ユダヤ人女性をソ連軍から守った日本の外交官たち


https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971455663&owner_id=6445842
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori-rekishiokangaeru/archives/79079066.html



1945年5月8日、ドイツは敗北し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦は、終結します。


その前後、ベルリンを占領したソ連軍は、ベルリンの民間人に略奪や暴行を加えます。


中でも、ソ連兵による女性に対する暴行はひどい物でした。


その様な状況の中で、当時、ベルリンの日本大使館に、外交官として勤務して居た故・吉野文六氏(1918−2015)は、以下の様な体験をしておられます。それをお読みください。



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 扉を開けると、泥だらけの戦闘着に身を包んだソ連兵が3〜4名飛び込んできた。
「マダム、ダワイ(女を寄こせ)」と言う。
「ここには女はいない」と、吉野や他の大使館員たちが返答したが、ソ連兵は「マダム、ダワイ」を繰り返す。
 実は大使館にはドイツ人の女性タイピストが二人いる。二人ともユダヤ系だ。日本大使館は、あえてユダヤ系ドイツ人を雇用していた。親日だが反ナチスというドイツの知識人は多かった。そのような人々の依頼に応じて、日本大使館は、あえてユダヤ系ドイツ人を庇護したのだ。同盟国である日本の大使館に勤めているならばゲシュタポ(秘密国家警察)もうかつに手を出すことができない。ソ連軍が侵攻してきたドイツ東部で、無差別に婦女子が凌辱されたことについては、大使館にも正確な情報が入ってきていた。前線部隊にしばらく遅れてコミッサール(共産党員の政治将校)が入ってくる。それまで、ソ連軍は赤軍兵士によるレイプや略奪をあえて見逃し、一種の「ガス抜き」をさせているようだ。地下壕の底にマンホールがあった。二人のタイピストにはパンと水だけを与え、マンホールの蓋を閉め、隠れさせている。
 吉野らはソ連兵に対し、「日本はソ連と外交関係をもっている。国際法に基づき大使館の領域は不可侵権を享受するので、ここの立ち入ってはならない」と伝えるのだが、身振りと手振りと、ドイツ語とロシア語に共通する断片的な単語から、相手が言っていることはだいたい推察できる。
「国際法の不可侵権など知ったことじゃない。俺たちはスターリングラードから歩いてベルリンまで来たんだ。とにかくまず女を出せ!」 
 吉野を押しのけて、ソ連兵は地下壕に入ってきた。女を探索したが、見つからない。そこで、食料と万年筆や時計を略奪して出て行った。一人の兵士は、左腕の上のほうまで時計を6〜7個も巻き付けている。強い力で撒きすぎるものだから、ゼンマイが切れて動かなくなってしまう。そうすると、「ウーメリ(死んだ)」と言って、時計を投げ捨てる。
 二人のタイピストが無事でとりあえずよかった。その瞬間、吉野は横浜で舞っている許嫁(いいなづけ)の節子のことが気になった。横浜も空襲に遭ったはずだ。長野県松本で弁護士を開業する父勝六は電話を引いていたので、四月初めに国際電話で話をしたときには、父も母も元気ということだった。その頃までは、ベルリンの無線電話局が稼働していたので、日本との通話も可能だったのである。
 吉野は山に囲まれた故郷のことを思い出した。再び、両親や節子と顔を合わせることができるのだろうか。先のことは全く予測できなかった。


(佐藤優(著)『私が最も尊敬する外交官/ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六』(講談社・2014年)20〜21ページ)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%8C%E6%9C%80%E3%82%82%E5%B0%8A%E6%95%AC%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98-%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%92%83%E3%81%97%E3%81%9F%E5%90%89%E9%87%8E%E6%96%87%E5%85%AD-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%84%AA/dp/4062148994/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E7%A7%81%E3%81%8C%E6%9C%80%E3%82%82%E5%B0%8A%E6%95%AC%E3%81%99%E3%82%8B&qid=1557007764&s=gateway&sr=8-1-fkmrnull


佐藤優(さとうまさる)
1960年埼玉県生まれ。85年同志社大学大学院進学研究科修士課程修了後、外務省入省。在英国、ロシア連邦日本国大使館勤務を経て、本省国際情報局分析第一課にて、主任分析官として対ロシア外交を担う。2002年背任と偽計業務妨害罪容疑で東京地検特捜部に逮捕される。512日間の勾留については、『国家の罠』(05年、第59回毎日出版文化賞特別賞受賞)に詳しい。09年最高裁で上告棄却、有罪が確定し、外務省を失職。その後、執筆、評論、講演活動に取り組む。

吉野文六(よしのぶんろく)
1918年長野県生まれ。40年東京帝国大学在学中に高等文官試験外交科、行政科、司法科試験合格。41年1月外務省に入省し、同年春に渡独。45年ベルリンの在ドイツ日本国大使館の地下壕で、ナチスドイツ第三帝国の崩壊を迎える。戦後、終戦連絡痴呆事務局(佐世保)、条約局法規課、国際経済局、経済協力局参事官等を経て、駐米公使時代から沖縄返還交渉に取り組む。71年アメリカ局長、75年外務審議官、77年駐西独大使。82年GATT閣僚会議日本政府代表を最後に、同年退官。

(上記の佐藤、吉野両氏の著者略歴は、2014年出版の本書カバーに在る物です。吉野氏は、2015年、他界されました。)

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これを読んで、皆さんは、驚かれないでしょうか?


「戦後」の一般的な歴史観では、ドイツはユダヤ人を迫害し、ソ連(ロシア)を含めた連合国は、そのドイツを打倒して、ユダヤ人を解放した事に成って居ます。


確かに、ドイツは、ユダヤ人を差別・迫害しました。その事自体は明白です。


しかし、その一方で、ドイツの首都ベルリンでは、この記述が語る様に、戦争末期においても、ベルリンで市民生活を送るユダヤ人達が居たのです。


そして、そのユダヤ人の中には、同盟国日本の大使館で、機密にも接する事の有るタイピストとして働く事が出来たのです。


更に、そのユダヤ人タイピストたちは、「解放軍」である筈のソ連(ロシア)軍の暴力を恐れて、枢軸国である日本の外交官によって守られた事をこの記述は物語って居ます。


つまり、ドイツが敗北するまで、ベルリンには、大使館でタイピストとして働くユダヤ人が居て、ドイツ人に庇護されて居たのに、ソ連(ロシア)がベルリンを占領してから、彼女たちは、連合国のひとつであるソ連(ロシア)の兵士の性暴力の恐怖にさらされ、枢軸国日本の外交官によって、ロシア人兵士による強姦から守られたと言ふのが、この記述が証言する史実なのです。


違ふでしょうか?




2019年5月8日(水)
ヨーロッパの大戦終結から74年目の日に







西岡昌紀

http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori-rekishiokangaeru/archives/79079066.html

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