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2019年03月01日21:24

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ミクシィの新たな船出に(43)(悩みついでに 介護の秘密をうちあける)

 こちらに、最初に来た目的は、 実は 介護の訪問カウンセリングの仕事の開拓のための宣伝が目的だった。

 介護の問題は、家族ごとに千差万別、 その全体像を把握していればそれでも 対応は可能ではあっても、

まずは 徹底した「傾聴」で、 その家族の本心、当事者意識のただ中に入り込む必要がある。

そのうえでの トータル介護が  私の考える訪問カウンセリングの仕事なのだ。

ゲンキニなる可能性のあるうちは徹底してリハビリを応援する。 その可能性が無くなれば、終末までのケアに徹する。  最後まで 責任をもって その家族ごとの問題に対応する。

こうしたカウンセラーは まだいない。

それどころか 専門の介護カウンセラーは 全国的に訪問を避けている。

これには心理療法自体に 問題があると私は思っているのですが、 そのへんはまたいつの日にか書いてみたい。

ともかく 彼らは、すでに認知されている施設には、入り込んでカウンセリングをしていても  在宅の家族の人たちに その存在を知らせて入り込んでいる形跡は見当たらないのだ。

(ほんの何人かの例外は 知っているが、それは カウンセリングのみであり、 あとはケアマネに 引き継ぐ形のもの。 自らが傾聴した内容をもとにトータルケアをしてゆく中心になる形のものではない)

 かって 市の責任の下で 訪問に入り込んだ 理学療法士兼カウンセラーたちがいたそうですが、すぐ断ち切れとなったそうです。


ただし、 この理学療法士が訪問看護にあたっている訪問看護の世界は すこしづつ進展しているようです。

この人たちが 傾聴も真剣にして、かく家族にあったリハビリを進展しているのは 重要な素晴らしい流れだと思う。

今 国も訪問看護の流れを重要視し始めている。 (目的はトータル性に欠けていると思うが)

しかし、 その中途半端さのためか それは、 うまいようにその方面のビジネスに利用されてしまっているだけの傾向がある。

ほんとうに困っている家族の人たちの中に入り込んでいる形のものとは言えないビジネスが 形だけ 訪問を名乗っていることが多い。

私の考える訪問看護ビジネスも ビジネスである限り、 お金も底をついた方々こそ困っているといってもそれだけでは そういう人たちは助けることはできない。

連携的な 多要素をもったビジネスを考えることで初めて 連動してそのような人たちの中にも入り込んで行けるのだ。

でも、 それは、 中途半端な対応であることを意味してはいない。

徹底したトータルケアの カウンセリングビジネス、あるいは「傾聴」ビジネスなのだ。


でも そのためには そのビジネスをまず 一般の人に認知してもらう必要がある。

こうして その目的のために  最初は それがゆえに このミクシィにやってきたというのが 真実だった。

そのビジネスは ちゃんとビジネスとして考える限り、 余裕をもってビジネスとして成り立つ。

詳しいことは今は略すが 簡単に計算しただけでも そこには時間的ゆとりを持った形で十分な稼ぎを生み出すことができることが解ってくる。

カウンセリング自体は 何回かに分けて3時間として、そのあと最後の最期まで責任を持つサービスを持続したとしてもなお、 時間的ゆとりをもって ビジネスとして成り立つ計算ができるはずなのだ。


だから、 今の超忙しい中での 活動を考えれば まずはそのビジネスをと考えてもおかしくはなかった。

でも  ミクシィに来てすぐに 気が付くことがあった。

 ミクシィには 介護のための緩やかな連帯を生み出すための巨大なエネルギーが、今もなお健在な形で 秘められている。

どうせ、カウンセリングも 新しい形の開拓なのであれば、 それ以上に 大きな可能性を生む その介護の連帯への模索が ともかくも 先なのだという直観が生まれたのだ。

私には 踊りがあり それは 人真似できない地点になってきているので、少し先には、ストリートでも すべてを宣伝できる。

それで アメブロに呼べれば、 そこから認知の世界はすぐ生まれる。

それよりも まずはこのミィクシィの可能性をまず探ってみよう。


これが いままで秘密にしてきた(書くことが多くて 書けなかっただけでもあるんですが)今「日記」に書き綴っていることの 裏の世界だ。

人生は賭け。  やるなら そこにすべてをかけてゆく。  失敗成功は やってから考える。

この姿勢で やり始めているのが この「日記」の世界なのだ。 またやろうとしていそがしくてなかなかできないでいるミクシィコミュニティ活動なのだ。


と、   ここにきて、自分のやろうとしていることの、社会的歴史的な大きさが気になって来た。

人の苦しみやつらさの前に おおきいもちいさいもなく、 ただただ、無心にそれをすこしでも少なくできるなら、たんたんと歩いてゆけばいいだけなのでしょうが、


たとえば 宗教改革、

自分自身が訪問介護の世界の開拓の模範を率先してやる「ビジネス」というビジョンには、 邪魔になると思えてきたのだ。

歴史的改革者の認老ゲンキニ君だからこそ 訪問トータル介護のビジネスが可能なのだと思われたら、率先してその開拓をする意味がなくなってしまう。

自分ひとり ビジネスに成功しても  ここにはなんの意味もない。

みんなが 本気で訪問の(在宅の)トータル介護に取り組めば、 介護ビジネスもはるかに経済的にも楽になり、 施設もまた中身の充実したところだけが淘汰されて残りつつ、その人材も確保できる状況が生まれる。

その大改革は、結局、国の掛け声だけでは 何も生まれない。

そう考えると、 ここは、私がそのビジネスの先頭にたつよりも、  もっと若いパワーのある専門家たちに 私の考えをシェアしてあげてしまう事の方が、事は早いと思えてきたのです。

今までは 「ミクシィ活動」→ 「アメブロ(「老老介護専門カウンセラーのページ」というタイトルになっていますが、 来週には別なタイトルになると思います)」 → そして「カウンセラー専門の内容のメルマガ」へ  →、 そして「ビジネス」へ      という流れを作ることも このミクシィでの活動の目的でした。


これが今まで こちらに書いていなかったことです。

ほんとうは別に 秘密であったわけではないですけどね^^。


でも、ここ三日間、何か悶々として心に引っ掛かりを抱えてきたことで、 この「ビジネス」への流れを断ち切ることになったのです。

これが、おそらく この悩みの中の 一番の成果だったかもしれません。


メルマガは まだ始めていませんでしたし  そこで書こうと思っていた専門の内容も どこかでシェアしてゆく形になり  メルマガは削る形となります。

あくまで ボランティアで すべてをシェアしてゆくのが これからの活動の主軸となるでしょう。

でも そのシェアの過程で それなりの 教室ビジネスは展開してゆく可能性もあります。

スクールの実地の形の方が効率がいいこともたくさんあるだろうからです。

スクールビジネスは 今の環境よりは 自分に活動の時間を与えれるとも思えますしね。

でも、 これで さらに無心に 今の今は ミクシィでの活動にこそ 淡々とエネルギーを注いでいけばいいという事になるかと思います^^。

悩む必要は もうないですね。 ひっかかりも取れましたし^^。


自分が自分の人生で体験させられたさまざまな苦痛やつらさの世界を考えれば、 また新鮮な天国もあったことを考えれば その前に  大きいも小さいも  大学教授も 肉体労働者も、何も関係ないです。


歴史的偉業?  そう思いたい人にまかせておけばいいだけのこと^^。 自分には関係ないですね。

当たり前のことしてるだけですし、 その当たり前のことの中に 最大の笑顔の世界 幸せの世界もたくさん見てきたし、 それで それをさらに大切にするだけで世の中が変わるのなら、  今までの世の中が おかしかっただけの^^ことです。

むしろ、偉そうなことを言ってきた人たちこそ世の中をおかしくしてきたんでしょうね。


さあ、 ミクシィの新たな船出に♪、 その船出は いよいよ、船が傾きかけるぐらいの大海原のしけと闘うところまでやってきたようですね。

冒険はいよいよ始まってゆくのでしょう^^。

、精神的にも肉体的にも病んでいる、元気のないはずの人たちのコミュニティとかも ミクシィには多種多様 たくさんあります。

ペシミズムを論じる 悲観的なコミュニティだって たくさんあるんです。

ですけど やがて 老人となり心身衰えてゆく、誰もが通る道の中には それと似た苦しみやつらさや悲観性がたくさんあり、  そのような人たちが 当たり前のことの大切さに気が付けば  その分深い共感のエネルギーで 介護への目を向けることができるんです。

元気のない人、反社会的な人、 この世に希望の持てない人、こそが そこでは かえって ひそかでゆるやかかもしれなくても 強力な介護のエネルギーにつながれるかもしれないのです。

ありとあらゆるコミュニティがミクシィにはあります。

まさに 大海原です(^^♪。

さあ、 ここからまた、新たに進んでいきましょう( `ー´)ノ。


今日は以上です。


おやすみなさい(^_-)-☆☆☆♪






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