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2019年03月16日12:11

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何故『ダメ。絶対』なのか

■「20代からコカイン使用」=ピエール瀧容疑者−関東信越厚生局
(時事通信社 - 03月15日 21:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5540228

今朝テレビで、かつて薬物中毒患者で、今は薬物依存から抜けるための支援をしてる人たちの話を見たんだけど
「10年間薬をやめていた。11年目に、もういいかと思ってやってしまった。そこから1年間やめられなくて、結婚もして子供もいて、家も買っていたのに全部なくした」
という人がいた。

『もういいかと思って』‥‥
これは怖い言葉だと思う。
『10年もやめていたんだからもういいだろう』と思ったのか?
『抜けられたんだから次も大丈夫だ』くらいの感覚かな?
踏み込むことに罪の意識がないのがすごい。
背徳感があって一層のワクワク感が増すやつだろうか。
まず所持してる時点で罪に問われるんですが。
番組内でも言ってたけど、薬物に手を出す人って、精神的ハードルはめちゃめちゃ低いそうです。

瀧さんも「使っていない時期もあった」と言っていたということだけど、
クスリは「やめる」のでなく「やめ続け」なければならないんだなぁと今更ながら思った。
『一生抜けられない』は誇張ではなく、一度でも味わったら、その感覚は絶対忘れない。
使用していない期間がどれほど長かろうが、死ぬまでに再び手を出してしまえば「やめた」ことにはならないんだと。

「クスリやってる人は、少しずつ自殺してる自覚がある。自分を大事に思っていない、自分を心配してくれる人がいない、という思いがある」
「クスリをやめる、もう絶対やらないと言う(思う)ことはとても苦しい。だから毎日『1日やらない』を積み重ねていくしかない」  
と番組の中で言ってた。

一時の興味本位、快楽、生きてる実感欲しさ、現実逃避…

人間だし、心が弱くなるってことはある。
でも、そのわずかの快楽や自己満足のために全部(『親兄弟も友達も全部なくなった』と言ってる人がいた)失う。
この先の人生も、クスリをやめ続けるためにあがきながら生きるなんて絶対嫌だ…

だから、『ダメ、絶対』なのだ。



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