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2019年02月08日23:30

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ミクシィの新たな船出に(25)(宗教についても簡単に書いておきます)

ミクシィの中の 哲学や宗教のコミュの中での、論争のような世界にはいっていくつもりはまだありません、

まずは 歌や音楽の趣味の方々の中にできるだけ入り込んで そこからこの「日記」を読んでもらおうと思っているのですが、  何百ものさまざまな趣味のコミュに 同じ輪をかけてゆくつもりです。

その次には ありとあらゆる悩みの人たちの集いがありますので それとからんでゆくつもりです。


そのうえで、もう一度 男女関係についても 深入りしていきます。

やることが多い中で 宗教や哲学コミュの中にも真剣な人とかはいるかと思いますが、それらの次にそちらにも論議をしかけてゆくことななるかと思います。


仮面ライダー(私のことですが^^)は、さすが 複眼的で 多面的だと思われると思います。

たしかに年寄りですから、かなり多面的です。

いろんな経験があることと、 踊りの心の世界を半世紀以上求めてきて 多義にわたる施策をしてきたということはあります。

一芸は万芸に通じると言いますが、その一部は捕まえてもいるでしょう。

何よりも 物事の本質としての 「心(特に感性)と 幸せとの関係」を 中軸にできることで  思索の翼が自由自在なところはあるのです。

でも、 同時に自分の未熟さも知っています。

自分の小ささを そしてまだまだ知らないことのたくさんあることを知っています。

むしろ、この自覚こそが力になっているような気がします。

さて 宗教についてなのですあ、

宗教の祖たちが 私たちに伝えようとしたことは、 素朴な幸せの感性への帰還と、 その謙虚さへのいざないなのではないかと 私は思っています。

昔にも なんとも未熟な新興宗教のようなものは、たくさんありましたけど、 仏教、イスラム教、キリスト教の 3大宗教の 創始者たちの考えは、 その真実をこそ伝え、インパクトを与えようとしていたのだと思うのです。

詳しく書こうとすると仏教の起こりは、めちゃくちゃ複雑なことになります。


でも イスラム教徒キリスト教は、同じ「アダムとイブ」の話をもとに 始まっています。

なので、いくらか 事の起こりをと論じやすいんです。

同じ「アダムとイヴ」の話でも、解釈の世界はまるで真逆です。

イスラム教は いわゆる性善説の根元としての解釈ですが、

キリスト教では 原罪という性悪説をもとにした解釈です。

でも、ここが変なのですが、 キリスト自身は 原罪なんて 一言も語っていないんです。

キリストが「アダムとイブ「」について、語っていると思われるところは 新約聖書でたった一言しかないです。  たぶん、弟子たちがその辺を理解できなかったのだろうと思います。

アダムとイブが 知恵の木の実を食べたとたん(これは 簡単に言えば、悪知恵が生まれたということでもあり、 頭はよくなっても「幸せ」の感性 、大自然を感じる感性の方が失われたことを意味するということである はずなんです)、

裸であることが恥ずかしくなり、イチジクの木の葉で 陰部を隠したというお話となっているわけですよね。

新約聖書には キリストがイチジクの木の近くを通りかかったときに「イチジクの木よ呪われてあれ」と言ったと書かれていますが、 その意味を解説してくれる人はいません。

おそらく そんなふうに言ったのではなくて  ちゃんとアダムとイブの話をしたのだと思うのです。

ほんとうに 深く性の神聖さをすばらしさを感じることができていた昔の素朴な人たちは裸でいても少しも恥ずかしくもなく、 いやらしい感覚なんてなかったんだということを、たぶんキリストは、たくさん語っていたと私は推理しています。

あの山上の垂訓という有名な説法の場で 「目には目をとむかしから決められている、だが私は言う。 もし悪人に左のほほを打たれたら右のほほを向けなさい」というふうに、続いていく箇所の すぐ次に

「むかしから 姦淫は 罪だと言われている。しかし私は言う。 心の中で姦淫してもそれは同じ罪なのだ」と言われているわけですけど、

おかしなことに、 これを ここは 真逆に 姦淫の罪を強化する解釈を なぜか後のキリスト教の人たちはしてしまっているんです。

「目には目を」への反論のほうは ふうつに反論として受け取っているのにです?

解ると思いますが、

心の中で姦淫しても、 それが神を冒涜したもの、 すこしも体の美しさ神秘、深さを感じないで欲望だけでセックスを想像するのであれば、  それは実際に姦淫したのと同じ罪だ ということが言いたかったはずです。

だって 野のユリの例えの話では 野のユリはどんな栄華を極めたソロモンの装いよりも美しい。 ましてあなた方をや。 神はそれよりもさらに、あなた方を美しく作られている」と語っているのですから、 もし、本気で 創造主を賛美する崇高な気持ちがあるのであれば、 性を否定するのはおかしいしゃないですか?

そのころの姦淫の罪は、人殺しの罪に匹敵したらしいですが、 それをキリスト教の人たちは なんと 心の中で性を想像しても同じ大きな罪、神の前では恥ずかしいことなのだ。

卑しいことなのだ。というふうに受けとり、またそのように教えられてきてしまったわけです。

でも これ、あらゆる宗教で 同じような不浄感が セックスについてつきまとってきてしまっています。

キリスト教だけのことでは無いわけです。

解りますでしょうか、  ちょうど、 集団が大きくなり、秩序のための道徳の必要とその権威が必要とされたころに、 そのつもりではなかったでしょうけど  キリストのような宗教反逆者(改革者)が生まれてしまい、 結局  それは 大きな権力によって利用される形になってしまったということなんです。 

簡単に描写していますが、言いたいことのだいたいのことは解ると思います。

キリスト教会などは、もろにその影響を受けていると思います。

原罪という考えを生み出したのもキリスト教会ですしね。

最後の審判なんて、 まさに善の権威のための作り話のはずですが、

これって キリストの善の精神と真逆です。


まずキリストの語っているのは 無心な善の世界でしょ。

「右の手でしていることを左の手にさへ知らせないように」とすこしでも 偉いとか偉くなりたいとかいうことを 善にまじえないようにと語っているわけですよね。

権威なんかとは 無縁の世界、そんな権力とは関係ない精神の世界のはずではないですか。

詳しくお話すれば そこにはとんでもない 恐ろしいほどのおかしな、キリストの語ったこととは真逆の教義が生まれてしまっているんです。

いつか もっと、ちゃんと詳しく書かせていただくつもりです。


イスラム教については、実はよく知りません。

でも マホメッドも、「ゆりかごから墓場まで人間は学習する生き物だ」と語った人ですよね。

生まれたときから すこしでも大切なもの、心の宝物となるものを探して、命尽きるまで学習し続けるのが、進歩し続けるのが 前に向かって歩き続けるのが、 謙虚であり続けるのが人間という命だと語っているわけです。

なぜ?、現代の中東で あれほど イスラムの世界がばらばらになっているのかわかりませんが、  もとは その性善説の根幹から 深いものがあったはずなのではないでしょうか。

すべて 権力や政治に うまく、学者とかを通して利用されてきてしまったのではないのでしょうか。

巨大な権威化や儀式化が無ければ、世界に広まったりはしなかったのでしょうけど、知ってみれば悲しい歴史ですよね。

仏教も そのへんを正そうとして見ていくと、 さらに、とんでもなく 説明とかが難しくなってしまいます。

でも、仏教についてだって 基本はおんなじです。

ある仮説が自分の中にはあるために 日本の古代の世界について、まず書いておきますが、

日本にわたってきた人類は 2万年前ぐらいからいたようですが、 日本の美しい大自然の中に それなりに楽に生きられたこともあるでしょうし、心が豊かになったことで あらそいがなくなったのだと思われるのですが、

一万年以上 考古学的に争いの跡がみつからない世界になっているんです。

中国からその文明と権力の世界が馬とともにわたってきてから 戦争がはじまっているわけですが、 それ以前には かなり大きな集落や 北海道から九州までの交易までおこなわれていたにもかかわらず 争いがひとつもな時代が続いていたわけです。

太陽を愛し、大地を 木々を渡る風の音を愛し、海を 海の潮風を、そよ揺れる草花を愛し、 白い雲をあおぎ、夕焼け雲に感動し 一番星に心奪われ、 しずかな夜の静寂の中に星空を見上げ、 大きな素朴な大地を生き抜いてきた和の民族。

結局、仏教にしても なにも そんな日本に限らずですが、 そのような素朴な感性への帰還を謳う精神とかかわっているのだと思うのです。

実際は、これこそ めちゃくちゃなことになっているのですけどね。

ながくなりました。

今日は ここまでとしますが、

明日、 今度は、その仏教について、その歴史の世界の真実をひも解いておきます。

簡単にですが、 二日間にわたって 宗教の起こりについて私の論点を書いておきます。



なお

明日は、どうやら会社お休みです^^。

「島人の宝(しまんちゅーぬたから)」の歌、ぜひYOUTUBEアップして こちらに紹介します。

踊りと素朴な心の、今でも残っている島、沖縄の歌。

そのなにがしかを歌えるといなと思っています。

是非、お楽しみに♪


以上です。

おやすみなさい(^_-)-☆☆☆☆☆☆☆♪♪♪   みながしあわせでありますように。
















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