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2019年02月09日22:54

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プロスキーヤーの三浦御大に

対抗したわけでは、全然ないのですが。


正月明けから、ダイエットに挑戦しています。

たまたま息子が、知人の栄養士のお姉さんを紹介してくれて。

1月9日彼女に会って、データをとったところ、体型は10年前とほとんど変化していないのですが。
「血糖値が、危険水域に近づいている」とのことで。

「今、悪いところが無いうちに、減量しましょうよ」という、きわめて合理的な説得と、「毎日の寝酒を週3日にして、週3日1万歩の運動を週6日にして、7月9日までに、6kg減量する」という計画に、「OK」して。
その帰り路から、ダイエットをはじめました。

実は、運動量を倍増するというのは、ほかにすることもあるし、天気とかもあるので、案外難しかろうとおもったので。

栄養士のお姉さんの指摘で、寝酒が大きなカロリー摂取になっていることに気付いたので、「なら寝酒をすべてやめよう」と考えたのが、彼女の提案を「実現できそう」と判断した根拠でした。


で、1月9日79.3kgあった体重が、ほぼ1週間単位にしてマイナス1kg減のペースで順調に体重が減り続けて。
一昨日の朝は、73.9kgまでになりました。
寝起き時体重の単純比較で、1か月でー5.4kgの減です。

実際は、「3度の食事にコダワル」古女房のおかげで、朝食から夕食までしっかり食べさせられるので、夕方には、1。5kgほど体重が増えているのですが。
寝ているうちに、1〜1,8kg前後減って、+αの減少分が積もって、−5.4kgになった感じです。

ほぼ週平均5日続いている1万歩の歩きは、体重減少による倦怠感を下支えしている感じはありますが。
「運動で減少した」という感じはありませんで、ポイントは「晩酌も含めて酒をすべて断った効果」でしょう。

で、いざ酒をやめてみると、不思議なことに、「本当は、酒がキライだったんではないか?」と思えるほど、かつての大酒飲みが、酒を飲みたいと思わなくなってます


それでも特に「身体が軽くなった」という実感は、まだ強くはありません。

それより「食べたい」欲求が、無くなっているようで。

昨日も昼食時、OLたちが並ぶうまそうなラーメン屋と、老舗の豆大福屋の前を通ったのですが。
食べれば「うまいだろう」ということは想像できるのですが、強く「食べたい」欲求がわかなくて、「食べる」という行動に、繋がらないのです。

これが、貧困や災害や戦争といった外的条件で行動が制限されていたら、さぞかし悔しい思いが生まれるのでしょうが。
ワタシの場合、年齢が73歳ということもあるのでしょうが、「自分が食べない」という選択肢は、「強い苦痛」ではないようです。


これなら、何年も五穀断ちをして修行して成仏する「即身仏」も、世間が想像しているほどの苦痛ではないのかもしれません。

お袋86歳の最晩年、アスペルガーでサイコパスだった親父とケンカして、お袋が入院中に拒食症になりかけて、担当医師があわてて、「どうしましょう」とうろたえて。
結局ワタシが1か月食事を作って治しましたが。


他でも嫁とケンカした婆さんが、食事と水を拒否して、1週間で餓死したという噺をききましたが。

どうせ最後は、意識も朦朧となるでしょうから、「ハンスト死」というのか「拒食死」というのは、案外に高齢者には楽な死に方かもしれません。

老人の孤独死とかも、死因は案外これが多いかもです。

都心近くの私鉄沿線の我が家周辺では、民生委員のおばさんたちが、増えつつある老人の孤独死を心配してますが。

高齢者にとっては、転倒骨折が、1年以内の死亡率を高めるように、この「拒食死」というのは、きっかけはなんであれ、ひょっとしたことで起きる可能性を考えてしまいました。

最近親しい老人仲間とは、「臨終期」という言葉が出始めてますが。

「いつまでも死なないつもりでいる老人」も、認知機能不全ならば、自分の認知不全を、仕事や生活習慣改善に利用する老人も、臨終期の老人の「終活」なわけでして(笑)


昨日ノルディックウオーキング協会の指導者講習会に出かけて、資格をとったのですが。
そこでも、若い講師や受講者に、「終活」という言葉を口にすると、「まだまだ、お若いのに」と驚かれて、ハナから冗談扱いされて、全面否定されるのですが。

こうゆう若年性認知機能の立場では、老人相手のスポーツ指導は、無理としか言いようがないです。

末期ガンで臨終を前にした友人を、病院に見舞ったときも、周囲の医者や看護婦たちは、「生かすことだけ」に話題を集めて、友人は怒ってましたが。

老人は死ぬから、その文句が伝わらないだけで、老人の日々の生活を、そのまま支えることが、老人医療の目的なはずで。

死を前にした老人に、にこやかに「まだまだ頑張って!」とか励ますことは、医者の認知不全としか、言いようがありません。

ところが敵は、意外なところにかくれているもので。

うちの女房の祖父は布袋様、父親が大黒様体型で亡くなるという、夫を太らせて死なせる女系文化を、女房はミトコンドリアとともに継承して、「みっともなくて、痩せた身体では、外は歩かせられません」というヒトで、潜在的に「ワタシに食べさせたい願望」がある女房なものですから。
昨夜はその陰謀に引っかかって、夜寝る前の体重が、朝と比べると、なんと1.8kgも増えてました。

まあ油断したワタシが悪いのですが、朝もパンが多かったし、夕食で女房が盛り付けた飯が、しっかり一膳分あったので、一瞬「多い」とはおもったのですが。

この程度のアクシデントは、ストレートに落ちていくのも、危険かな?ともおもいますので、一応、今は余裕で、「一進一退」のうちに入れておきます。

で、女房が夜留守のときとに、食べなければよいのですから。


ただ今後、丼物などを出されたら、ほぼ逃げようがないですし。
いつも料理は多めにつくって、よそった分プラスで、追加をたべさせますので、なかなか巧妙でして。
文句を言えば、「食べるヒトが悪い」ですから。

食べたい亭主に、食べさせない女房も、恨まれるでしょうが。
食べたくない亭主に、巧妙に食べさせる女房も、こまったものでして。

これも一種の「老人虐待」なんでしょうが。

刷り込まれた「亭主を死においやっても食べさせたい信念」の女房との駆け引きは、「肥満は個人の責任」としか考えない栄養士のお姉さんに説明しても、深刻さは理解できないようで、なかなか厄介です(苦笑)


なんであれ、高齢者夫婦のやりとりは、互いに先鋭化して、合理的な判断など吹き飛んでますから、毎日が「命懸け」ってことですね。


嫁文化を凌駕する家付き娘の女系文化のすさまじさをしりつくしている医者の甥は、「おじさん、離婚しないと、ダイエットはできませんよ」といってます。

虐待親から、子供が逃げられないように。
虐待家族からも、老人は逃げられません。

そうした家族に囲まれて、粛々として死に赴いた義父のやさしさは、見習うべきものが有ります。






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