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2019年01月15日02:58

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そういえば、昔は緑と赤しかなかった

01年に徳島の日亜化学と開発者の中村修二氏の間で青色発光ダイオードの特許料について裁判が起こされ、知的財産所有権は会社にあるのか個人にあるのかでもずいぶん話題になった青色発光ダイオード。
世紀の大発明と言われたけど、青ができたからって、なにがそんなにすごいのかいまいちよくわからなかったし、調べようともしてこなかった。
ところがたしかにものすごく大きな発明であり、実はいまやそれによってもたらされる恩恵を受けていない人はほとんど居ないと言えるほどのものやったことを知って驚いてしもた。

日亜化学に勤務していた中村修二氏のプロジェクトが青色発光ダイオードを発明したのが1993年。
それまで発光ダイオード(LED)は赤と緑しかなかった。
そういえば、ゲームとかパイロットランプやインジケーター、時計などみんな赤か緑やったわ。

発光ダイオードが出来たとき、技術者の夢は白色を作り出すことやった。
蛍光灯や白熱灯と比べてメリットの多いLEDを照明として使うためには赤とか緑では駄目。
昔からわかっていたことは、緑と赤に青を加えると白色発光ダイオードができるということ。

30年余り、世界中の技術者がああでもないこうでもないと青色の開発に取り組んだ結果、ようやく出来たのが中村修二氏の発明。
青色発光ダイオードが出来たことにより、白色発光ダイオードが作れるようになり、そこから赤、緑を使わずに青色のみを用いて白色を出す技術へと進化し、今日に至る。

いまや家の電気から車のヘッドライトまで置き換えられるとこはすべてLEDに交換されようとしている。
すべては白色発光ダイオードが出来たからで、そのためには青色発光ダイオードの完成が不可欠だった。
白熱電球、蛍光灯はどんどんなくなっていってるし、ハロゲン使ってるのはずいぶん古い施設だけ。
新しいもんはほぼLED照明になってるんやもん、そらノーベル賞の1ダースくらいもらってもぜんぜん足りんくらいやで。


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