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2019年01月18日11:06

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事故死・災害死とスピノザ

昨日は、阪神大震災から24年ということで、テレビでいくつかの特集番組を目にしました。NHKスペシャル「命をめぐる決断 〜災害多発時代 神戸からの問いかけ〜」では救助のトリアージの問題を掘り下げていました。消防隊員が、瓦礫の下にいる“見えない”被災者のトリアージをするというのは、かなり厳しい作業だと思います。

個人的に印象に残ったのは、家族の死に対して、今もトラウマを抱えている遺族が少なからずいるということです。ボクの母親も事故死みたいなものなので、その感覚はよくわかります。

どんな死に方でも悔いは残る――とは、この1年間で、ボクが多くの人から言われた言葉。とはいっても、事故死・災害死というのは、なんとも言えない後味の悪さが残るのも確かです。

病死などと比べると、「こうなる他なかった」「必然だった」「運命だった」という感覚が生じにくいからだと思います。「ああしていれば」「こうしていれば」「ああだったら」「こうだったら」という別の可能性が、頭にたくさん浮かんできてしまうので、なかなか納得することができません。生死の分かれ目が紙一重というのは、精神的にはかなりつらいです。

災害死の場合、そうした状態に、さらにトリアージの問題が加わわるわけで、遺族はさぞかしきついだろうなと思います。NHKスペシャルを見た人は、トリアージで切り捨てられたら、遺族は辛いだろうと感じたと思いますが、トリアージがなくても、災害死はトラウマになりやすいものです。

ツイッターを見ていると、消防隊員に「人殺し」と言った遺族のことを非難する書き込みが少なくなくて、災害遺族の割り切れない心情を理解できない人が多いなと感じます。

たまたま数日前に読んだスピノザの『エチカ』に、なるほどと思える一節があったので引用してみます。(工藤喜作・斎藤博 訳)

|  第5部 知性の能力あるいは人間の自由について
|
|  (定理6) 精神は、あらゆるものを必然的なものとして認識する
|  かぎり、感情にたいしてより大きな能力をもっている。あるいは
|  感情から影響を受けることがより少ない。
|  (注釈)……このことは経験によっても明らかである。なぜなら、
|  失われた善にたいしての悲しみは、その善を失った人間がそれを
|  どんな仕方によっても保持することができなかったと考えるならば、
|  ただちにやわらげることを、われわれは知っているからである……

スピノザの汎神論では、「神=自然(世界)」なので、この世界に起こることはすべて必然であり、神にも人間にも自由意思(選択の自由)はない。また、この世界(=神)は、特定の目的に向かって進歩・発展しているわけではないので、この世界には善や悪もない。なので、人間がそのことをより正しく認識すれば、感情を和らげる(感情から自由になる)ことができるというわけです。

|  (定理17)(系) 本来的に言えば、神はだれも愛さないし、
|  まただれをも憎まない。なぜなら、神は喜びや悲しみという
|  いかなる人間的な感情にも動かされないからである……

この世界(=神)は人間の感情とは無関係に動いているという話ですが、この辺は、スピノザ哲学が仏教的だと評される所以です。とはいっても、身内の事故死・災害死を前にして、こんな風に達観・諦念するのは難しいですね。なかなか「この死は必然だった」とは思えないものです。

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ところで、事故死・災害死というのは、突然死でもあるのですが、この突然死も死別のパターンとしては厄介です。日常的な時間の流れが暴力的に遮断されてしまい、死を意識して過ごす時間が一切持てないからです。

ボクの場合、母親と過ごした最後の一日とか、最後の会話が何だったのか……、といったことを思い出すのに物凄いエネルギーと労力を使っていますが、それでも十分には思い出せないことが少なくありません。直前まで、死を意識して生活をしていないからです。

母親が転倒事故を起こす1〜2時間くらい前、時刻でいえば午後7時ごろ、ボクは母親に小言を言っていたように記憶しています(後になって思い出しました)。夕方になって、部屋の整理を始めたのですが、自力で収拾がつかなくなってしまったので、ボクが片付けることになりました。ボクとしては夕飯の支度をしなければいけなかったので、文句を言いながら片付けたのだと思いますが、細かいことは思い出せません。母親がどんな反応をしたのかも覚えていません。

これに比べると、先日亡くなった飼い猫の場合、「やれることはほぼやった」という感覚があるので、後味がまったく違います。予想よりもかなり早く死んでしまったのですが、それでも、死期が近いという認識の下で決断・行動していたので、最期に至るまでの日々も覚えています。

もちろん、猫の場合、人間と違って、死ぬ前にやっておきたいことというのがほとんどないし、会話もできませんが……。それでも、死を意識して見つめ合う時間があった、というのは大きいです。

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