mixiユーザー(id:417253)

2018年12月24日16:45

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継体天皇はどこから来たの?

「日本国紀」で
簒奪王朝は2つある
と書かれていたのは

応神天皇と
継体天皇
だった

応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の子供で
ホムタワケ皇子

そして継体天皇
越(越前・越中・越後)からやって来た天皇で
「15代応神天皇の五世の孫」という怪しげな出自である


6世紀初頭、継体天皇の出現
王朝交代では無かったか?と
継体天皇には重大な秘密がある

「なぜ新たな王が日本海から現れたのか?」ということだ

「消えた出雲と継体天皇の謎」
関裕二著を読んだ

関さんは面白い
「継体天皇は古代日本史のヘソ」らしい

継体天皇が生まれ育った近江から越の地域が
日本の地理上の「支点」となっている
琵琶湖を中心とした近江と越は
巨大なジャンクションの役目を果たしていた

また、福井県は弥生時代の後期の段階で
「出雲」と深く結びついていた

古代出雲は今の出雲市のあたりだけでは無くて
日本海側の出雲→越→信濃→東国の流通経済の支配権力だった説
である

四隅突出型墳丘墓が日本海伝いに越に伝わっていると言う事は
出雲と越は埋葬文化を共有し、力を合わせていた可能性が高い

その越から継体天皇がやってきた!
見つけたのは大伴金村である


大伴氏は神武東征のときも出てくる
神武と継体の即位に大伴氏が関わっているのである

・・とまあ頭に一度には入らない内容

でもヤマトの三輪山はオオナムチ神を祀る場所であり
「オオナムチの三人の子はヤマト盆地の南に移し祀った
葛城の鴨・宇奈堤・飛鳥に、
自らは杵築の宮(出雲大社)に鎮座した」
とある

蘇我氏全盛期の王家の宮の周辺に
出雲神が固まって祀られているのが不思議なのである

蘇我氏は継体天皇が出てから活躍する


しかし「日本書紀」では蘇我氏の祖の名を隠蔽し

「古事記」では武内宿禰に統一してある
そして7世紀の蘇我氏は方墳を造営する特権を獲得していた


日本海側の流通(出雲)と
瀬戸内海側(吉備)の流通の戦いが
出雲とヤマトの戦いでもあった。
朝鮮半島南部(任那)からもたらされる鉄の流通が関係してたようだ

蘇我氏の地盤、飛鳥には何故か出雲神が密集していた
しかし「日本書紀」は
ヤマト建国に至る歴史を神話に封印した
何故かと言えば
藤原氏の最大の敵、蘇我氏の祖が
ヤマト建国の際に大活躍していたからである

蘇我氏の出身地は日本海であり
神話世界の「出雲」はまさに正義の敵・野蛮な神と描かれたのである

ヤマト建国後の主導権争いに
敗れた「山陰」や「北陸」、さらには「東国」をひっくるめたモノが「出雲」と言える



で・・・今、現在
「太平洋ベルト地帯」が栄えているので
瀬戸内海側の勝利かな(><;)?

私たちが住んでいる地域は依然として
負け側の格差が延々と続いているのだなあと
しみじみ思った。
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