8月1日(水)
信じられないが,もう8月だ.一方で,梅雨明けが早かったので,やっと8月,まだ8月,という気分もしないではない.
1日休むとメールがあれこれ溜まっている.いくつかには返事を.
重版関係の書類も机の上に.これらを処理していく.
何かをしているときに限って,いろいろと相談事が.少しずつ対応.
3時半前に外出.会社の分室へ行く.外は暑い.
分室へ行くと,スタッフの方からの月次の書類がそろっていて助かった.片づけをして退室.
近くの大学でオープンキャンパスが行なわれている.最近は地方の高校はバスをしたててやってくるらしい.まあ,大学での勉強,研究がどんなものか,ということを知ったり,モチベーションを高めるためにもよいのだろうな.
ふと,高校生の時を思い出した.現代国語の授業とき,指名された友人が「このような設問に答えてどんな意味があるのか」と教師に問い返した.
現国の教師は内心腹を立てていたろうが,冷静に説得した.友人は「こんな字数で語るのは無理だ」「決められた字数や時間で作品を語って意味があるのか」と反論していた.
どう収まったかは覚えていないが,友人としては作品を切り出し,何か問題を立て,限られた字数で答えることにフラストレーションがあったのだろう.
大学の時,いわゆるODで研究生として在籍し,予備校で国語の教員をしていた先輩がそこのパンフレットで「現代国語とはゲームである」と言い切っていたが,たしかに現代国語は文学研究ではなく,ゲームにほかならないのであろう.で,あれば,そのルール内での得点を重ねる術を身につけねばならない.現代国語で高得点を採れたからといって,文学研究の才能があるということにはまったくならないのだが.
あのとき,現国の教師も「これはルール(学習指導要領)のなかでのゲームなのだ」と言ってもよかったと思うが.そのかわり,放課後に読書会か何かをもうければばっちりだったと思うが,そこまではなかったな.
オープンキャンパスでは,たとえば現代国語と文学研究,高校日本史と日本史研究のあいだにあるような,一見近そうだが,実は遠くて深い裂け目の存在を知ること,裂け目の向うには広大な世界があること,そしてその裂け目を越えるために実によい本が出されていることを知ってもらいたいと学外者は思っている.
暑いなか.一駅歩いてしまったら大汗.コンビニで600ミリの麦茶を買って地下鉄に乗る.
下車駅近くの耳鼻科へ.まだすっきりしないので,再度薬を出してもらう.いちおう抗生物質も飲んでおきなさい,とのこと.
帰宅して,薬局へ.薬を処方してもらい,コンビニに寄って帰宅,シャワー,着かえてビール.
息子,きょうは登校して成績表をもらい(終業式に出られなかったので),夕方は英語の塾とのこと.なので,先に夕食.「半分,青い」観るが,いったいどうなっていくのか.
食後,帰りがけに買った「オールナイトニッポン」50周年を記念したビートたけしと高田文夫の本をぱらぱら.「三国一の幸せ者」から読んでいるのだ.が,眠くなってしまい,9時前には横になって熟睡である.
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