■殺害関与認める供述=小2女児遺棄容疑の男−新潟県警
(時事通信社 - 05月15日 17:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5111796
「人間的」とは、「人間」に受け身的に従属する言い方だとわかるだろうか?
「人間の為すことで、人間的でないことなどない」のだ、と。
この言い方に引っかかる方は、「人間」に、何か、超越的な、理念の負荷をかけているのだ。
「人間」は、何でもする。
なんとなれば、彼は「欲求の奴隷」というより、「欲望の走狗」だからだ。
「人外魔境」に彼を追いやったところで、「自分は人間である」と安心立命したい気持ちは、
わからないでもないし、むろん、彼の犯罪を擁護するつもりなど毛頭ない。
しかしながら、そうした「切断」は、「人間の可能性」という表現が適切でないなら、
「人間の多様性」といってもいいが、それを「なきものにする切っ先」であろう。
彼が「異常でない」とはいわない。
しかし、その欲望、行為が、「人間の外からやってきた」というのでは、
起こったことを理解し、さらには、避ける、防止するという目的には合致しないと思うのだ。
そして、たぶん、超管理社会、国家でないかぎり、「彼ら」の徹底的な排除などできなかろう。
我々が「何を自由と引き換えにしているのか」を考える。
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