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2018年05月12日06:49

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ガン病棟からの生還(6)父の肺がんと、抗がん剤


(『ガン病棟からの生還(5)』の*印に関して)“父親の肺がん”を振り返ってみます。

38年前・・56豪雪の時(今回の記録的大雪と重なってきますか!)
医師である弟が勤務する金沢の病院で肺がんの手術を受けました。
しかし、癌の位置が悪く、開胸してそのまま縫合したようです。

当時、事業所から、豪雪で身動きが取れない私に、
夜、弟から「兄貴覚悟しろ!6か月持たないぞ!この夏を超せない」との連絡でした。

(私が治療の世界に入る前のことで・・当時、私名義で父親が大きな借金をし、
どう計算しても返済できない状態で、また私自身に体力の問題もありました。)

弟の言葉から・・私の受け取り方は・・≪最新の医学治療を受けたら6か月か!?≫
≪今、親父に逝かれたら大変だ!どうしたら止めさせることができるかな?≫
と、それのみ考えていました。

縫合跡が癒えて、帰宅後、県立病院へ抗がん剤と放射線治療を受けに通院したのですが
3回目から帰って「病院へ行くと(治療を受けると)辛い!」と言い出したので
≪これ幸い!≫とばかりに、
「それなら病院の治療は止めて、食事療法に切り替えようか!?」と、提案。
その時は不思議なくらい・・素直に私の言葉に同意してくれたのです。
そして、一切の薬も捨てました。

当時は、P(リン):Ca(カルシウム)=2:1になるようミネラルバランスを考えた理論
(故・柳沢文正博士のリン・カルシウム理論を基本に)
簡単に言ってみれば、癌体質=酸性体質をアルカリ体質にする食事療法でした。

出来るだけP:Ca=2:1になるようミネラル計算をし・・
玄米食は無理でしたから、麦飯にし、野菜中心で
たんぱく質は小魚中心にした食事療法を・・家族一緒に実行しました。

その時、一つの指標にしたのが、(ピロール農法が開発される前)
当時、T農学博士のお宅に出入りしていた時、教えてもらったBTB試験紙(*)
唾液pHを測って、(体液の、酸性度、アルカリ度を見る)大まかな検査法でした。

最初、黄色で、完全な酸性体液でしたが・・6か月を過ぎる頃=夏を迎える頃
BTB試験紙が緑に変化し始め=アルカリ体液になり始めて、血色は良くなり
体重も増え、しばらくして仕事にも復帰してきました。

そんな状態で1年過ぎ・・
(ここで一気に借金問題を解消へ⇒反対する父親とはトンデモナイ喧嘩もしました)

その後、どうにか家だけ残った状態で廃業し、私は新たな職に
(当時の同業者の中には借金が雪だるま式に増え“夜逃げ”するものもいました)

それまで父自身は、自分が肺ガンだったことも知らなかったようで・・
父親は私の言うことに耳を貸さなくなり、
食事療法もいい加減になっていきましたが、それでも丸2年は元気に過ごしました。

丸2年目の冬、父親は軽い風邪を引きました。
医師の弟から「金沢での担当医が、福井に転勤になったから」と連絡が入って、
その担当医が勤務する病院へ・・
当然、風邪はそっちのけで、肺がんがどうなっているのかと、検査が始まりました。
そして、
「肺がんは大きくなっていないけど、小さくもなっていなくって共存状態ですね。
お父さんは元気になられたんだから、この際(肺がんを)叩きましょう!
少し高いけどいい薬(抗がん剤)があるから・・」と、始まったのです。

それを聞いた私は≪あぁ!もうダメだな!≫と感じていましたが・・
借金問題が解決した後、私は、黙って静観しているだけでした。

弟たち医師は、これで助かる・・と言っていたのですが・・・
私の休みの日・・丁度6か月目の7月1日
父親は、増大した肺がんが血管を突き破って喀血して・・私の腕の中で逝きました。

(写真は、BTB試験紙)
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【抗がん剤は癌を逆に多発化させる!
日本は欧米で売れなくなった抗がん剤の在庫処分場!日本の癌ビジネス】
http://blog.goo.ne.jp/ki…/e/e4194bf9d3a737c6a2e6281f7eaaaa24

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『言霊波動療法』:氣光整体・東陽
http://www7a.biglobe.ne.jp/~to-taka/index.html

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