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2018年05月09日12:23

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18940831 NO2412 朝鮮政府内政改革進行の報告

18940831 NO2412 朝鮮政府内政改革進行の報告
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駐韓日本公使館記録 5巻 参. 諸方機密公信往 参 (14) 朝鮮政府内政改革進行の模様一般
文書題目 (14) 朝鮮政府内政改革進行の模様一般
文書番号 機密 第一七六号 本一○○
発信日 明治二十七年八月三十一日 ( 1894年 08月 31日 )
発信者 特命全権公使 大鳥圭介
受信者 外務大臣 陸奧宗光

(14) 朝鮮政府内政改革進行の模様一般
機密第一七六号 本一○○
軍国機務処ハ去月二十八日創立已来每日会議ヲ開キ革新事務ニ付評議ヲ凝シ国王ノ裁可ヲ得テ施行シ来リシガ本月二十日ハ新官制実施ノ期日ナルヲ以テ其準備ノ為メ同十八日ヨリ二十日迄参日間休会シ其後ハ隔日開会ノ制規ニ改メタリシカ近来緊要ノ議事少キト各員担当ノ本務ニ余間ナキトニ因リ再ヒ去二十八日ヨリ五日間休会スル事ニ決セリ
議政府ならびに各衙門:議政府ハ旧議政府ノ建物ヲ襲用シ其他ハ旧六曹其他ノ役所ヲ襲用シ各各衙門ヲ開テ当局ノ官員日日出勤致シ居ルモ本来荒果テタル建物ナレハ充分ノ修繕ヲ加ヘサル以上ハ執務ノ用ニ適セス殊ニ新任ノ官員ハ専ラ人材ヲ登用シタルニ拘ハラス執務ノ方法着手ノ順序ニ至リテハ旧官員ト同様ニテ毫モ其見込立タヌ方ナレハ終日無為ニ暮シ居ル姿ナリ尤モ其内二参ノ衙門ハ其人ヲ得タルカ為メカ事務ノ進行ニ付稍稍見ルヘキモノナキニアラサルカ如シ
大院君ハ入闕後ハ専ラ改革派ノ意見ニ曲従シ軍国機務所ノ決議ニ対シテハ絶テ異議ヲ容レラレス大抵認可ヲ与ヘラル例ナリシガ近来漸ク専恣ノ兆候相顕ハレ既ニ国王ノ認可ヲ経テ発布セラレタル法律規則ニモ頓着セラレヌ事アリトテ改革派ハ竊ニ憂慮シ或ハ其官ヲ辭セント言フ者サヘ有之候本来同君ハ頑固ナル守旧家ナレトモ是迄意ヲ曲ケテ日本人ノ説ニ付同シ来リシ者ナレバ一旦其志ヲ得ルニ及ンテハ其ノ本色ヲ顕スハ無理ナラヌ事ナリ依テ今後ハ同君ヲシテ余リ我侭ヲ為サシメヌ様与防スルハ頗ル緊要ノ事ナリ扨又同君ト国王トノ御間柄ハ益益親密ヲ加ヘラレ何事ニ限ラス総テ国王ヨリ御相談有之由又平生両殿相互ノ御待遇ハ全ク御父子ノ礼式ニテ国王ハ常ニ尊爺ト称セラレ同君ノ前ニハ敢テ跪坐セラレザル由ニ漏聞セリ
清国兵ノ改革事業ニ及ホス勢力 清国ノ大軍既ニ平壌ニ入リ時ヲ待テ京城ニ進襲セントノ説アルヤ一時民心洶々トシテ定マラス政府部内ニモ純粋ノ改革派即チ新政府ト生死ヲ共ニセザルヲ得ザル地位ニ立居ル人人ヲ除ク外ハ竊ニ二心ヲ懷ク者アルガ如ク殊ニ宮内ノ官員中ニハ清兵ノ南下ヲ希望スル者ナキニアラザル由ニテ改革事業ニ痛ク刺激ヲ与ヘタリシガ清兵ハ久ク平壌ニ駐屯シテ俄ニ南下ス可キ模様ナシク之ニ反シテ我兵ノ来着益益多ク加之近来清兵ノ挙動ニ対スル悪評甚タ盛ナレバ民心漸ク安堵ノ観ヲ呈セリ右及具申候也
明治二十七年八月参十一日
特命全権公使 大鳥圭介
外務大臣 陸奧宗光 殿




(*私訳)
(14) 朝鮮政府内政改革進行の模様一般
機密第一七六号 本一○○
「軍国機務処」は先月(*七月)二十八日創設以来(*今月十七日まで二十一日間)毎日会議を開き革新事務について評議を凝らし国王の裁可を得て施行してきたが、本月二十日は「新官制」実施の期日であるのでその準備のため同十八日より二十日までの三日間休会し、その後は隔日開会の制度に改めたのだが、このところ緊要の議事が少ないことと各員が担当する本務に余裕がないことにより、再び去る二十八日ヨより五日間休会することに決定した。
議政府ならびに各衙門(ガモン): 議政府は旧議政府の建物を引き継ぎ、その他は旧「六曹」その他の役所を引き継ぎ、各々衙門を開いて当局の官員が日々出勤しているが、本来荒れ果てた建物であるので充分の修繕を加えないでは執務の用に適しない。
ことに新任の官員は他を差し置いて人材を登用したにもかかわらず、執務の方法、着手の順序に至っては旧官員と同様で少しもその見込が立たないほうなので終日何もせずに暮らしている様子である。
もっともその二、三の衙門は人物を得て事務の進行についてやや見るべきものがなくもないようだ。
大院君は入闕後もっぱら改革派の意見に曲従(*道理を曲げて従う)し、「軍国機務所」の決議に対しては全く異議を挟むことはなくたいていは認可を与えられるのが常であったが、このところようやく我がままの兆候が現れ、既に国王の認可を経て発布された法律規則にも興味をもたないことがあると言って、改革派はひそかに憂慮し、あるいはその官をやめたいと言う者さえあります。
本来大院君は頑固な現実維持派であるがここまで自分の考えを抑えて日本人の説に同調して来た者であるので、一旦その目ざしていた地位に就いた以上は、その本性を現すことは無理ではないことである。
そこで今後は同君にあまり我が儘をさせないよう予防することがすこぶる緊要の事である。
また同君と国王との御間柄は益々親密を加えられ、何事に限らずすべて国王より御相談があるとのこと、また常々両殿相互の御待遇は全く御父子の礼式であって国王は常に尊爺(チョニャ *日本読みではソンヤ)と称され同君の前では敢えてお座りにならないと漏れ聞いている。
清国兵の改革事業に及ぼす影響: 清国の大軍が既に平壌(ピョンヤン)に入り時機を選んで京城(キョンソン)を襲うだろうとの説があり、一時民心が落ち着かず、政府部内にも純粋の改革派、即ち新政府にも生死を共にせざるをえない地位についている人々を除く外はひそかに二心を抱いているものがあるようで、特に宮中内の官員の中には清兵の南下を希望する者がないわけではないとのことで改革事業に厳しく影響を与えていたが、清兵は長く平壌に駐屯しておりにわかに南下する模様はない。
これに反して我が兵の来着が益々多く、さらに近来清兵の挙動に対する悪評が非常に盛んであるので、民心も次第に安堵の様子を見せている。以上具申致します。

明治二十七年八月参十一日
特命全権公使 大鳥圭介(*発信)

外務大臣 陸奧宗光 殿


*軍国機務処(ぐんこくきむしょ)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E5%9B%BD%E6%A9%9F%E5%8B%99%E5%87%A6
*六曹 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9

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