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2018年05月01日15:16

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花かげに隠れてゐずや

 四月も過ぎて行った。

 四月はわたしには訣れの月。

 木俣修先生。お好きな辛夷の花がひらきはじめたのを、一枝手折ったのをお届けしたけれど、おわかりになったか、どうか。
 世田谷の豪徳寺から黒い車で発ってゆかれるとき、櫻の花吹雪に、お送り申すわたしたちまでつつまれた。散りに散って。まさに散華散華。きれいなものがお好きな先生にふさはしい旅立ちだった。
 
 口のまはらぬ時に「やうんちゃん」とお呼びしたのが、そのまま、ちゃんと言へるやうになっても「やうんちゃん」のをぢさんだった。「鳴海連(なるみれん)」さんといふのが正式?のお名前。ドイツ語の辞書編纂の、その編集長さんをつとめられたこともあったとか。それなのに、ある朝、会社に行ってみたら、ドアが開かない。なんとその会社、破産したといふ。やうんちゃんのをばさん(奥さん)が、「あなた、編集長なんでしょ。わからなかったの」って言ふと「うーむ、わからなかった」。父がそれを聞いて「鳴海くん浮世離れしてるから」と母に言ったところ、「二人仙人ね」とやられてしまったといふ。

 敗色濃くなって来て東京も危ないと、わたしたち親子がからがらん東京を離れた直後、あの東京大空襲。やうんちゃんも郷里の青森に帰ったはずなのに、以来、音信不通。あの戦火をしのいだとしても、さぞ、容易ならぬ戦後を過ごされたことでせう。考へても詮無きこと、明治の末生れのやうんちゃん夫妻、とっくにあちら側の人ですね。

 やうんちゃんんがくださった櫻のはなびら型のお香立て。はなびらがひとひら、ふっくらと。やうんちゃんは文鎮のやうにして使ってらした。欲しさうな顔をしたのか、「はい」と私のてのひらに乗せてくださったのが、今に残る唯一のお形見。わたしも、文鎮、兼、お守りとしてコンピュータの裾に飾ってゐる。

 父方の叔父、仕舞の師匠、江戸端唄舞の先輩、三十年以上も拙いわたしを支へてくれた短歌と古典文学の会の中にも、花ととも逝ってしまったひとたちがゐる。
 それからそれから、荷風散人。このかたは「葉櫻忌」か。ご命日が四月三十日ですから。  
   葉ざくらや人に知られぬ昼あそび

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