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2018年02月01日15:47

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「原発雑考」第355号   伊方3号機 運転差し止め   座して死を待つよりは・・・など

「原発雑考」第355号の転載です。


2018・ 2・5
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台二丁目12-8 E-Mail tnk24@tees.jp


伊方3号機 運転差し止め

 昨年12月13日、広島高裁(野々上友之裁判長)は、四国電力伊方3号機について、阿蘇山の噴火リスクは原子力規制委員会の[原子力発電所の火山影響評価ガイド(火山ガイド)]に規定された原発立地不適に該当するとして、同機の運転差し止めの仮処分を認めた。
 火山ガイドでは「原子力発電所の運用期間中に火山活動が想定され、それによる設計対応不可能な火山事象が原子力発電所に影響を及ぼす可能性が十分小さいと評価できない場合には、原子力発電所の立地は不適となる」とされている。
 阿蘇山の破局的な大噴火はほぼ1万年に1回とされる。これまでの裁判では、この程度の低頻度の噴火リスクは無視するのが社会通念であり(社会通念論)、原発にたいする影響は考慮しなくてよいとされてきた。今回の決定は、社会通念論は認めたうえで、だからといって原発の安全性確保にかかわる火山ガイドの規定を無視してよいことにはならないとしたのである。
 自然現象のリスクの大小の評価は、それによってどのような二次災害が想定されるかによって異なるはずだ。原発過酷事故をもたらす危険性がある場合には、「1万年に1回の大噴火は無視できない」というのがむしろ社会通念ではないのか。少なくとも「無視できる」が自明の社会通念とはいえないはずだ。この点では社会通念論を認めた今回の判示には不満が残る。
 ただし原発過酷事故がもたらす被害の甚大さについての顧慮が、社会通念よりも火山ガイドの規定が優越するとした今回の決定の背後にあったことは容易に推察できる。そう考えると社会通念論を容認したのは、これまでの裁判所の判断を正面から否定することを避けるためだったかもしれない。
 たとえ発生頻度が低くても、巨大な地震、津波、噴火の危険性がある場所には原発を立地しないのが世界の常識である。今回の決定はそのことをやや屈折した論理で認めたものともいえよう。


座して死を待つよりは

 日本の原子力事業はもともと大きな困難を抱えていたが、福島原発事故によってその困難は倍加した。それでも自民党政府、中央官庁、経済界主流、一部のマスコミ・学者などからなる原発推進派は原発推進の旗を降ろそうとしなかった。しかし福島原発事故からほぼ7年が経って、彼らにとって状況はさらに悪化した。
 原発に絶対安全はないこと、日本列島は原発立地に不適であること(原発過酷事故をもたらしかねない巨大な地震、津波、噴火の危険性があること、急峻、狭隘な地形と人口の稠密さが事故時の周辺住民の避難を困難にすることなど)が福島原発事故によって改めて強烈に認識させられた。
 司法もこのことから眼を背け続けることができず、再稼働差し止めなどの決定が出るようになっている。推進派からすれば司法リスクの出現である。
 省エネと再エネ利用が進んで、原発に頼らずとも大きな無理をすることなく必要な電力は確保されることが明らかになった。電源としての原発の必要性の主張は説得力を失ってしまった。
 安全性の強化を迫られた新型原発は建設費用、ひいては発電コストが高騰した。他方で再エネ発電のコストは急激に低下し、諸外国では風力発電や太陽光発電は原発より安コストになっている。再エネ発電のコストはこれからも低下し続けるが、原発の発電コストは、量産効果や学習効果が効かないために上昇することはあっても低下することはありえない。そのうえにそもそも発表されている原発の発電コストには、廃炉、放射性廃棄物処理、事故などのコストが極めて不十分にしか織り込まれていないのである。
 温暖化防止も原発推進の理由だった。しかし温暖化対策が新たな段階に入って近い将来における火力発電全廃が予定されるようになり、状況は一変した。火力発電が存在しなくなれば、バックアップ電源を火力発電に依存するほかない原発も存在しえなくなるからである。温暖化防止と原発推進は完全に矛盾するようになったのである。
 原発だけでなく原子力事業全体を見渡せば、さらに悲惨な光景が広がっている。原子力事業はあらゆる方面で瓦解、衰滅しつつあるのだ。
 そして推進派にとって最大の誤算は、上に述べた諸事情の影響もあって国民の反原発感情・脱原発指向がいっこうに減衰しないことである。原発再稼働についての各種世論調査で反対が賛成の2倍前後に上る状態が続いていることが、そのなによりの証拠である。その結果として原発再稼働も推進派の思うようには進んでいない。
 そんな八方塞がりの状況下のなかで自暴自棄的な強硬論が目立つようになった。本誌353号で取り上げた日本原電東海第二原発の運転期間延長申請がその一例であるが、最近明らかになったイギリスの原発建設事業への官民一体の参加決定もそうである。
 イギリスのウィルファ・ニューウィッド原発建設計画(2基で合計出力270万kW。総事業費約3兆円)に日本から日立製作所を中心に3千億円を出資し、さらに政府保証付きの1兆1千億円の融資を行うことで、イギリス政府と大筋合意したというのである。日立以外からの出資が得られるのか、事業費が3兆円で収まるのか、稼働にこぎつけても採算がとれるのか、といった不安要素山積の計画である。政府保証が付くのはリスクが高い事業である証拠だし、事業が失敗して損失が出れば税金で穴埋めされることを意味している。
 中国企業の出資で建設が始まったヒンクリーポイントC原発では、早くも工事費の膨張、工期の延長が報道されている。海外原子力事業がいかに不確実で高リスクかは東芝の失敗で学んだばかりでもある。こんな事業に政府主導で乗り出すのは正気の沙汰ではない。国内で原発建設が見通せないことから原発関係の人材・技術を維持することと景気づけを狙ったものだろう。そこを見透かされてイギリス政府に不利な条件を飲まされたという側面もあろう。原発推進の形をなんとか作ろうとする政府の焦りが生んだ事業である。
 政府の思惑を離れて冷静に考えれば、日本よりはるかに立地条件に恵まれたイギリスで予定通りに進んだとしても出力1kWあたり100万円(福島原発事故以前の3倍)以上の設置費用を要することになるこの計画は、日本では原発新設は費用面だけで絶望的であることを示すものだといえよう。
 原発・原子力事業を巡るこのような状況下で新エネルギー基本計画の審議が進んでいて、原発の建て替え・新設の推進を謳うか否かが一つの焦点になっている。状況が厳しいことは推進派も分かっているが、だからこそ座して死を待つよりはましだということで、やけっぱちの強硬論が出て来ているのだ。新エネルギー基本計画にそれが採用されることになるかもしれない。
 眼を脱原発派に転じると、小泉元首相が参加する原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連)と立憲民主党がそれぞれの脱原発政策を発表した。まだ未整理の部分もあるが、発信力のある団体が脱原発政策を提案したことには大きな意味がある。これをきっかけに脱原発派内部および社会全体での議論を盛り上げることができれば、脱原発への大きな弾みが生まれるだろう。今年は原発問題の大きな節目の年になるかもしれない。


雑 記 帳

 今月1日で満75歳になった。後期高齢者である。もともと「後期高齢者」は老人学などで75歳以上の人を集合的に指す専門語だった。それが75歳以上の人を対象にする医療保険制度の名称に転用されることによって、75歳以上の個々の人を指す一般語になった。しかし暗くて冷たい語感があり、当人が自虐的に用いる以外にはあまり使われていないようだ。
 今年は明治維新から150年でもある。それを記念して政府は種々の事業、行事を計画している。ところで安倍首相は昭和の侵略戦争の評価については「後世の歴史家に委ねる」という姿勢である。しかしこの戦争の評価を抜きにして明治維新150年のまっとうな評価はまったく不可能である。この一事だけで政府の明治維新150年記念の怪しさが分かる。

 この冬は寒い日が多く、庭にメジロがよくやって来る。10羽ほどの群れのこともある。寒くて強い風が吹くと、メジロの巣がある藪のなかでは餌にしている虫があまり飛ばなくなるので、花の蜜を吸いに花木のある住宅街にやって来るのだ。そういう気象だと天敵の猛禽類があまり現れないことも、藪から出て住宅街までやって来る理由だろう。
 メジロ以外の冬鳥はほとんど姿を見せない。私がいちばん好きな冬鳥はシジュウガラだが、この冬はまだ一度しか見ていない。

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