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2017年12月31日08:38

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母親がメモした短歌を見つける

29日の深夜。
年末ということもあったので、未整理の郵便物や紙類が山のようになっていた居間を整理しました。TVではNHKで「朝まで!ドキュメント72時間 2017」をやっていたので、それを見ながらの作業になりました。

母親が元気だった頃は、年末になると、事前に計画を立てて、大掃除をやっていたものですが、自分が母親の介護をするようになってからの、ここ15年くらいは、母親と同等の整理や掃除はできなくなっていました。長期的に見れば、20年くらいで家の中全体が徐々に小汚くなっていったと言えます。逆に言うと、今回、母親が亡くなったことで、その傾向が大きく変わるわけでもないのですが。

そんなことを思いながら、郵便物や紙類を見ていくと……。大半はそのまま捨てればいいものでしたが、母親宛ての郵便物(年金支払い通知など)など、生きていた痕跡と思われるものが少なくなくて、どうしても感傷的な気分になってしまいました。胸が苦しくて、フーっとため息をつくことが何度もありました。

特に母親のメモ書きなどが残されていると、どうしても捨てがたくなってしまいます。封筒に「リハビリ 月 水 土」と書かれたメモが2つ出てきました。母親はデイサービスの曜日を覚えることができなくて、毎日のように家族に聞いては、目の前の紙類にメモしていました。「こっちが覚えてるから、覚えなくてもいい」と言っても、本人としては覚えたいという意思があったようです。書いても、書いたこと自体を忘れてしまうのですが……。

ちなみに、10月からはデイサービスを週5回に増やしていたのですが、結果的には、その効果を確認する前に亡くなってしまったことになります。ボクは10月末の時点で、効果がありそうだと感じていたので、それも残念です。

ちなみに、上にも書いたように、TV画面は「ドキュメント72時間」で、松崎ナオの「川べりの家」が何回も流れてくるので、しんみりした気分はますます増長されてしまいました。しかも、今年再放送されたベストテンは、第3位が「海が見える老人ホーム」(7/28放送)で、第1位が「都会の小さいお葬式」(4/21放送)なのだから、「母親のことを意識して見ろ」と、運命の神様に言われているような気分になってしまいました。

特に前者の巨大老人ホームの回(7/28)は、リアルタイムで見た記憶があります。母親も一緒に見ていた可能性がありますが、特に何かを話したような記憶はありません。ただ、もし話をしていたとしても、ボクは次のように言ったと思います。「老人ホームもいいが、こうして家で、家族や猫と一緒に暮らしていられるのが一番幸せだろう」と。で、こういう場合の母親の答えは「そうだね」とか「家族に迷惑をかける」など。

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居間を整理していく過程で、年賀状を収めた紙箱やノートが見つかりました。

ノートの方は、5〜6年前にボクが用意したものだと思います。母親は思いついた短歌を、チラシの裏などに書くことがあったのですが、それだとゴミになってしまうので、ボクがノートに書くように勧めたわけです。でも、ノートに書かれていたのは最初の2ページだけで、習慣として定着しなかったようです。今考えれば、もうちょっとケアしてあげればよかったかも、と思ってしまいます。

「書きっぱなしにしないで、ちゃんとまとめておいた方がいいんじゃないか」と言ったこともありましたが、「読み返したら出来が良くないので、いい」と言われました。その時は「それならいいか」と思いましたが、今となれば、晩年の母親の心情を知るために、自分自身のために残しておくべきだったのかもしません。

以下の歌はノートに書かれていたもので、どれも認知症の老人が書いたメモ書きレベルです。すべてボクと一緒に通院した時のことを詠ったものだと思われます。時期的には5〜6年前(東日本大震災の前後)だと思われますが、確証はありません。

 歩く道の割れ目に
 冬も知らぬ野草咲き乱れていて
 今日をすくわれて生きていたり

母親は、アスファルトの割れ目から花が咲いているのを見つけると、立ち止まって見ていることがよくありました。

 春かすみの中にすっぽりかくれている
 富士を待ち 立橋に立ちすくむなり

陸橋がどこの陸橋なのかは思い出せませんが、富士山が見えそうなところで「今日は富士山が見えるかな」というような会話はよくしていました。荒川の陸橋の場合、車か電車なので「立ちすくむ」のは不可能です。堀切駅の陸橋かもしれませんが、そこは富士山が望めるようなところじゃなかったような。

 あえぎつつ坂道を昇り来たけど
 振りむけば
 落キ(落暉)赤く輝いており

病院の帰りが夕方になることもあったので、帰り道に夕陽に出くわすということも、何回かあったと記憶しています。

 クジャクサボテンのもえる紅にみせられて
 しばし痛む身を忘れていたり

母親の場合、日常的に痛みを感じるような疾患はなかったので、歌に出てくる痛みは検査か何かだと思います。

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しかし、今回特に気になったのは、年賀状を収めた紙箱から出てきたメモ書きです。2001年前後の年賀状が収められている箱なんですが、そこにシャープペンシルが入った封筒が一緒に入っていて、封筒の表面に歌が、裏面に日付が、シャープペンシルで書かれていました。

 空に向き
 思わず友の名をよんでみる
 雲だけが
 今日のわれの友となりたり

 平成28年4月20日 81日

表面と裏面が同じ日に書かれたものかどうかもわかりませんが、上記の日付は母親の81歳の誕生日なので、「81日」が「81歳」の誤記なのは確実です。気になるのは、これが年賀状の紙箱に入っていたということです。歌のテーマが「友」だけに年賀状との関係が気になりますし、この歌は残しておきたいという、母親の意図も感じました。

しばらく考えていて思い至ったのは、来年の年賀状に載せようと思ったのかもしれない、ということです。過去にも年賀状に短歌を載せたことがありました。年賀状に載せるにしては、内容が暗いのが気になりますが……。いずれにしても、本人は書いたこと自体を忘れていたので、今年(平成29年)の年賀状には反映されていません。忘れないために、年賀状の箱に入れたのかもしれませんが、2001年の箱では無理です。認知症・高齢者の悲しいところです。

以前の日記にも書いたように、晩年の母親は「人生は空しい。若い頃はいろいろなことをやったが、今は私を訪ねてくる友達もいなくなった」というようなことを何度か言っていたので、歌の内容はそれと一致します。ボク自身の記憶でも、母親がベランダから外を眺めていた後に、上記の話を聞かされたような印象があります。時期的にも2016年ごろだと思います。

ただ、ボクの予定を確認してみると、2016年4月20日は外出しているので、この日にボクが母から話を聞いた可能性は低いです。メールの記録を見ると、17:22にスマホでメールを送信しているので、帰宅したのは早くても18時ぐらいになります。その時間帯にベランダから外を眺めている母親を目撃するのは……、4月なら外は十分に明るいのかもしれませんが。

そもそも、上の歌を詠んだのが厳密に4月20日だったのかどうかも不明です。ただ、81歳の誕生日を迎え、その時の心情を詠ったものあるのは間違いがないでしょう。歌に出てくる友も、ボクが知っている人なのか、まったく知らない人なのかもわかりません。初恋の人かもしれないですし。

そういえば、「20代の頃、ブラジルかどこかに移住した友達がいた」という話を聞いたことがあります。お別れ会などもやったそうですが、その後は音信不通になってしまい、今はどこいるのかもわからないとのことでした。母親の20代の友人関係というのは、一番わからない部分だということは、以前にも書いたとおりです。

ボクの場合でも、20代の頃の友人・知人で、今は生きてるのかどうかもわからないという人はたくさんいます。

年賀状はもう無理ですが、何らかの形で、この短歌を葬儀の参列者や友人らに伝えたいなと考えています。

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