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2017年12月02日08:07

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赤ん坊、みんなで育てりゃ怖くない

■「子育ては社会的な問題。個人の問題にしないで」 子どもを連れて議場に入った緒方市議の思いと今後
(キャリコネ - 12月01日 14:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4884242

 コメント欄、緒方夕佳市議に対する批判の方が目立っている状況に驚いた。
 キミたち、日本が今「共生」社会を目指してるって認識は持ってないのかね?
 実際の現場でも、緒方市議と議長らとの間で押し問答が続いていた時に、「赤ん坊が泣きだしたらどうするんだ」とヤジが飛んでいた。確かに全ての赤ん坊が大人しくしているとは限らないし、あやしてもなかなか泣き止まなければ、議事は中断することになるだろう。五分程度ならトイレ休憩と大して変わらないから問題もなかろうが、往々にして楽観的な予測は外れるものである。寛容になるにしても限度があろう。

 海外では赤ん坊同伴を認めている議会もある、との報道がなされていたが、実際にはあちらでも国によって賛否両論だというのが実態のようである。熊本市議会同様に、議員以外の会場への入室を固く禁じているところも少なくない。
 「仕事と子育ては別々に考えるべきだ」という意見には充分に首肯できる根拠がある。緒方市議の「子どもは傍聴人ではないため、何の規則にも違反しない」という主張もいかにも苦しい言い訳だ。

 しかしながら、今回の記事で判明したのは、緒方市議が事前に何度も無料託児所や親子傍聴室の設置を議会に訴えていながら、それらが全て門前払いを喰らっていたという事実である。何もいきなりの実力行使に出たわけではない。これを彼女の個人的なパフォーマンスだと断じるのはいかがなものか。
 だいたい、今回の件で緒方市議が注目を浴びたのは、そもそも報道陣が例の「パワハラ市議」を取材しようとして陣取っていたところに、偶然、緒方市議の「子連れ出勤」に出くわしたからであって、意図されたパフォーマンスだとは言い難い。

 「個人的な問題、家庭の問題を社会問題にすり替えている」という批判も的外れである。これだけ女性の社会への参画の推進、それに付随して待機児童の解消が叫ばれている今日の状況をちゃんと認識しているのだろうか。そうした環境にあって、「子連れ出勤」を要望することが「個人の問題」に収斂されてしまうことがあってはならない。それが「共生社会」を実現しようとする我々の共通認識になっているのではなかったか。
 ましてや、「子育て世代は傍聴したいと思っていない」などという批判は、女性を舐め切っているにも程がある。女性は母親になったら政治にも社会にも関心を抱かなくなるというのか。社会から外れた存在、「部外者」になってしまうのか。批判者たちはいったいいつの時代を生きているのだろうか。戦前か、明治か江戸か。
 女性を「社会不適合者」にしてはならない。これは机上の理想論ではなくて、そうしなければ既に社会が立ち行かなくなりつつあるという「現実」問題なのである。

 この問題については、実は既に30年前の「アグネス論争」において決着が付いている。
 子連れ出勤を敢行した歌手のアグネス・チャンが「テレビ局に託児室を」と訴えたことに対して、やはり「個人のワガママだ」と批判が殺到したのだ。
 しかしながら、その後の「ママタレ」の急増が(若い人はご存じないと思いますが、こんな言葉が生まれたのもアグネス以降なのですよ)、芸能界の「子連れ出勤」を促進した。テレビ局に託児室が普通に設置されるようになり、子連れ出勤はごく当たり前の風景になった。
 現実が批判を駆逐したのである。アグネス批判の急先鋒だった林真理子はグゥの音も出なくなり、今や彼女にとってその件を持ち出すことはタブーになっている模様である。

 劇場などの公共施設、あるいはショッピングモールなど、新設のところに託児室が設置されているのも今では普通である。うちの近所のモールで、幼稚園が入っているところすらある。公共機関である熊本市議会に託児施設がないというのは、「時代遅れ」の謗りを受けても仕方がないのだ。
 議員の半分が女性になったら、そのうちの1/3、いや1/5でも、近くの子供を預ける施設にも空きがなく、子連れ出勤が必要とされていたらどうするのか。「そんなに女性議員が増えるものか」という発想が、そもそも女性の社会参画を拒んでいる。託児所や保育園を認可するよりも、議員会館の一室を空けて託児室を作る方が、人件費だって数人を割くだけで充分であろうし、たいした手間もかからないはずである。女性の社会進出を拒んでいる点で、熊本市議会が男性優位主義に支配されている事実は明白だ。

 緒方市議への批判者らが、自らの「正義」を疑ってかかることをしない状況は非常に恐ろしい。差別者は往々にして自らが差別者であることを自覚できないものだが、子連れ出勤を頭から否定する姿勢はまさしく典型的な女性差別に他ならない。それを指摘されても改められない固陋さが、差別の温床になってしまっているのである。
 「ルール破りをした緒方市議が悪い」と批判するのは簡単だが、記事をちゃんと読めば、彼女がそこまで横紙破りの行動に出なければならなかった経緯も事情も理解できるはずだ。できなければ読解力に乏しいと非難されても仕方がない。議事進行を遅らせたことが処分の対象になってしまったことは仕方がない。しかしそこまでしなければ、熊本市議会の女性差別体質に一石を投じることができなかった「現実」にも、ちゃんと目を向けなければならないだろう。

 「あなた」の身近でもね、本当は働きたいんだけど、父親が子供の世話を押し付けて家庭を顧みないせいで、働きに出られない、あるいは仕事を辞めざるを得なかったって不満を持ってるお母さんや、働きに出ていても、産休や育休で欠勤が増えると、途端に責任放棄だと非難されて憤慨している奥さんとか、「現実に」いらっしゃると思うよ。
 そうした女性たちがストレスを感じることのない社会を作っていこう、というのは、彼女たちのワガママを通すってことじゃなくて、「みんなで生きやすい世の中を作っていこう」ってことなんだよ。批判者たちには「共生」の意味を真剣に考えてもらいたいと思う。
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