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2017年11月12日09:39

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全体主義

今年は100分de名著でもアンナ・ハーレントの全体主義の起源を取り上げていたが、これからその牙がむき出しになってくるのだろう。以下は菅野完氏のメルマガの抜粋。

https://sugano.shop/items/59ccab22ed05e610740040a2
★★★職務質問★★★

大袈裟太郎が逮捕されその後釈放されてから、1日が過ぎました。
この逮捕が不当であることは論をまちません。そもそも「窃盗」であげてくるとか、検察も裁判所の現場警察のアホさに呆れ返ったことだろうとおもいます。だからこそこうやって早く釈放されたのでしょう。
 
周りをみわたしてみると、ここ数週間、不当な逮捕や職質がとみに増えています。
おそらく、トランプ来日にあわせた予防拘禁の意図もあったのでしょうが、トランプ帰った後もこの傾向はつづいています

もう30年近く反原発運動をしている知人は先週、近所に買い物にでかけるため自転車にのっていたところ職務質問されました。職質までは理解できます。しかし身分証を携帯していなかったという理由でその場で1時間以上も足止めを食らうというのは理解に苦しみます。さらには、人定できないからとて、持ち物を洗いざらい確認されたうえに「早くおわりたかったら配偶者の連絡先を教えろ」と迫られたというのですから、もはやこれは嫌がらせとしかいいようがありません。

ネットでもここ数週間の「職質の異常さ」の事例が多数報告されているようです。それらの報告をみると、だいたい上記事例のように、反原発運動の人であるとか、あるいは「そりゃお前職質されてもしゃーないやろ」と思えるような極左セクトに属している人であるとか、いわゆる産経新聞的な語用でいうところの「サヨク」な人たちが標的になっているものがほとんどのようです。

が、これ、そうでもないんですよ。

今日、知り合いの街宣右翼の人から「いやもうね、正直やってられんよ」という愚痴のような電話をもらいました。

一般的な想像とは違い、あの業界の人々は、官憲の手先となって活動してるような人々ばかりではありません。いやそりゃ中にはそういう人もいますよ。そして無自覚に官憲側を利している人も多数いますよ。しかし自称他称ともども「明確に反体制」としか言いようがない人も多数いるのが事実です。

選挙、トランプ来日、と、日程が詰まっていたこともあるのでしょうが彼らの活動もまたここ数週間、警察から度重なる妨害をうけているそうです。

「こわいのは、嫁はんと子供にもぴたーっと警察のマークついとることよね」

と、この街宣右翼氏はごちます。もうお子さんも成人済みで一般的な仕事についておられるそうですが、まだ独身で彼と同居しています。それが原因なのでしょうが、息子さんの証言によると、毎朝の出勤時と毎晩の帰宅時に、自宅と駅の間、ずーっと警察がついて動いているそうです。制服の警官までもがあからさまについてくるというのですから、カタギの仕事をしている息子さんでも「ああ警察がみてる」ってことが理解できる。逆に言えば警察は「見てるよ」というメッセージを出しているということですわな。

彼だけでなく、ほかの街宣右翼の人々もここ数週間あちこちで警察と衝突している姿をみかけます。

戦前、弾圧をうけたのは、共産党をはじめとする左翼セクトばかりではありません。声高に戦争を叫び、蒋介石政権打倒や日米開戦をうったえつづけた主戦派の在野右翼もまた、徹底した弾圧をうけています。これは右翼の方がテロを起こしていた(なおこの傾向は戦後も変わりません。1945年8月15日以降、自分の政治的主張のために他人を殺した数でいえば、左翼よりも圧倒的に右翼によるテロの方が数が多いです)ということもありますが、なによりも、「政府の主張と相違する」という点が問題視されたわけです。

生長の家の教祖、谷口雅春などその代表例ではないでしょうか。
彼の場合、極めて早い段階から満州事変以降の日本の戦争行為が聖戦であること、日本の東亜進出が正義であることを主張し、どんな政治勢力よりも雄弁に主戦論を展開しつづけていました。満州や台湾における「生長の家」の布教活動が陸軍の慰撫作戦の一部と協同で展開されたこともあったほどです。しかしながら谷口雅春は一方で、「海行かばを歌うな。あれは死をイメージするので、兵隊が死ぬ 兵隊が死ねば戦争に負ける」などとも主張し、一部政府の主張や方針と違うことも主張していました。その結果、あれほどまでに戦争を主張していた谷口雅春および生長の家教団は、昭和17年ごろから政府の弾圧対象となり、用紙配給の停止など言論活動を自粛に追い込まれていきました。

これが全体主義の怖さですな。

全体主義ってのは、「何か一つの思想で社会を染め上げる」というよりも、「政府の意向以外、あらゆるものを許容しない」と定義した方が正確なのでしょう。もっと具体的には「政策のスムーズな遂行を妨げるものは全て排除する」ということであり、いわば「社会全体の機械化」こそが全体主義の怖さなのでしょう。そこでは政策遂行のための合理性だけが追求され、あらゆる人間性は無視されてしいます。

一度社会がこの方向に動き出せば、この動きは加速度がついてあらゆる主義主張、あらゆる人間性を踏み潰して驀進していくことになる。

なにをオーバーな… と思うかもしれませんが、沖縄の運動に投げつけられる言葉を思い出して見てください。「日米安保があるからしかたないだろう」「日本の安全保障のためだろう」「反対ばかりしやがって」と。 これら全て「一旦決定した政策遂行の邪魔をするな」ということでしょう。

いまはまだ、この「政策遂行の邪魔をするな」の声が、沖縄であったり反原発であったりという「わかりやすい反体制」に向けられているだけにすぎないのです。

近い将来、この声が、貴方に向かうかもしれません。


★★★
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