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2017年09月29日21:34

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あやしい絵☆名画の怪イベントにて大塚国際美術館再びin徳島県鳴門市PART2☆彡

PART1のB1F近代の作品紹介からの続きです。→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962867664&owner_id=10363401

マネ、エドゥアール「草上の昼食」(1863年)。
「本作はサロンから拒絶され落選し、落選作品が展示される会場(落選展)で民衆に公開されると、批評家、記者を始めとした来場者の殆どが「堕落した恥ずべき作品」、「批評家をからかい、混乱させるために描いた稚拙で厚かましい作品」と猛烈な批難を浴びせたが、このスキャンダラスな事件はエドゥアール・マネの名を一気にパリ中へ浸透させ、前衛的で伝統に批判的だった若い画家らがマネを先駆者として慕い集うきっかけとなった。」
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続けてマネ、エドゥアール「フォリー=ベンジェールのバー」(1882年)。
「画家が死の前年に完成させた、最後のサロン出典作でもある、この類稀な傑作に描かれるのは当時流行に敏感な人々が挙って集ったパリで最も華やかな社交場のひとつであったフォリー=ベルジェール劇場のバーとシュゾンという女性をモデルにした給仕の姿である。女給仕シュゾンの背後の情景は鏡に映ったフォリー=ベルジェール劇場で繰り広げられる様々な情景であり、画面右部分で紳士と会話する女は給仕本人の鏡に映る後姿である。中央では給仕を真正面から捉え描き、右部の鏡に映る後姿は紳士と共に角度をつけて描かれている点などから本作では現実ではありえない構図的・空間的矛盾が生じており、発表当時は辛辣な酷評を受けたものの、平面的でありながら空間を感じさせる絵画的な空間構成や給仕の魅惑的とも虚無的とも受け取ることのできる独特な表情は観る者をフォリー=ベルジェール劇場の世界へと惹き込む。」
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ルノワール、オーギュスト「田舎のダンス」(1883年)。
「『都会のダンス』同様に画商デュラン=リュエルの家の装飾用に制作された本作は画家の友人であったポール・ロートと、しばしば画家のモデルとなり、後に妻ともなるアリーヌ・シャリゴ(当時24歳)をモデルに描かれた作品で単純かつ洗練された構成、画面の中で溶け合うかのような人物と背景の一体感、明確な人物の形態、やや装飾的な表現など、光の効果的な表現や曖昧な輪郭、複雑な空間構成等が特徴であった印象主義時代とは明らかに異なる表現手法によって描かれているのが大きな特徴である。」
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ドガ、エドガー「ダンス教室」(1875年頃)。
「本作では踊り子を個別にデッサンし、入念に構図や配置を計算しながら登場人物(踊り子たちや教師)を合成したことが知られており、画面中央でバレエ教師ジュール・ペロが指導する踊り子らの、本番の舞台では決して見せない日常的な姿や人間性に溢れた年相応の仕草がドガの鋭い観察眼によってありありと示されている。」
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スーラ、ジョルジュ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884〜1886年)。
「新印象派の創始者であり、点描表現における第一人者でもあるジョルジュ・スーラ最大の代表作。科学的理論に基づく新印象派的様式とその表現は理論的な色彩配置による美しく秩序的な光と自然に則した的確な色彩を獲得しており、その何れも非常に効果的な役割を果たしている。しかし同時に新印象派的様式は印象主義独自の豊かな躍動性や内面的心象の表現を喪失しており、どこか真面目で静謐な雰囲気や平面性が強調される(ある種の)没個性的な表現に陥っていることは注目すべき点である。本作は印象派的な様式で描写された画面に、さらに点描を加えたかたちで制作されており、ひとつひとつの色彩の点は一定の距離を境に隣り合う点が互いに混ざり合い、ひとつの別の色彩と面として眼に映るという科学的な近代的色彩論が実践された本作はそれまでに誰も見たことのない色彩の美しさと、圧倒的な斬新性によって観る者に衝撃を与えた。」
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セザンヌ、ポール「リンゴとオレンジ」(1895〜1900年頃)。
「本作は画家が1870年代以降、数多く手がけた果物を画題とした静物画の中の一点であり、本作は構図、構成、対象の捉え方など完成度が最も高いものとして知られている。
セザンヌは画家に共鳴していた批評家ギュスターヴ・ジェフロワに対して『リンゴでパリを驚かせたい』と語ったと言われており(これはエミール・ゾラによる小説≪制作≫の中で、主人公の画家が『素晴らしく描かれた一本の人参で革命を起こしたい』との台詞への画家の反応とも考えられる)本作は画家の対象に対する切実で複雑な想いと表現が顕著に示された作品でもある。対象を写実的(客観的)に描くのではなく、対象から感じられる雰囲気や内面をあらゆる角度から見つめ、時には伝統的な遠近法的表現を無視した独自の手法を用いることで現実では決して見出すことのできない対象そのものの迫真性や造形としての美しさが本作には表れている。」
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ゴーギャン、ポール「イア・オラナ・マリア(マリアを拝む)」(1891年)。
「フランス総合主義の創始者ポール・ゴーギャン第一次タヒチ滞在期の代表作。画面右側には鮮やかな赤色の衣服を着たタヒチ人の聖母マリアが幼子イエスを肩に乗せている姿が描かれており、光輪が頭上に浮かぶ両者は意味深げな表情を浮かべながら観る者へと視線を向けている。画面中景の左側には黄色の翼の天使が二人のタヒチの女(現地人)に対して聖母と神の子の存在(降臨)を指し示しており、画面中景の中央に描かれる二人のタヒチの女が胸の前で両手を合わせて聖母と神の子に信仰の証を示している。この二人のポーズはゴーギャンが写真で見たジャワの寺院に彫られた僧像の装飾彫刻に典拠が得られている。天使とる二人のタヒチの女が立つ小道がゴーギャンが述べるよう濃紫によって描かれており、さらにその前景には美しい青緑色の色面が平面的に配されている。」
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ゴッホ、フィンセント・ファン「自画像」(1889年頃)。
「かの耳切り事件後、1889年5月から神経発作により画家自身の希望でサン・レミのカトリック精神病院『サン・ポール』へ入院していた時代(通称サン・レミ時代)の9月頃に制作されたゴッホの自画像作品で少し前(8月末頃)に手がけられた『自画像(パレットのある自画像)』と共に、ゴッホの自画像作品の中では最後期の自画像としても広く知られている。画面中央へやや斜めに構え白いシャツと上着を着たゴッホの上半身が描かれる本作の最も注目すべき点は、やはり青い渦巻き模様風の背景の描写にある。画家の観る者(或いは画家自身)の内面すらまで見据えるかのような厳しくある種の確信性に満ちた表情と呼応するかのように本作では背景が表現されており、それは耳切り事件と度重なる神経発作による画家の不安定で苦悩に満ちた感情があたかも蒼白い炎となってうねりながら燃え立つ渦巻き模様として具現化しているようである。」
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続けてゴッホ、フィンセント・ファン「ヒマワリ」(1889年)。
「フィンセント・ファン・ゴッホのおそらくは最も代表的な作品のひとつであろう『ひまわり(14本)』。
本作は日本の浮世絵から強い影響を受け、同国を光に溢れた国だと想像し、そこへ赴くことを願ったゴッホがゴーギャンを始めとする同時代の画家達を誘い向かった日差しの強い南仏の町アルルで描かれた作品で本作を始めとする≪ひまわり≫を題材とした作品はこのアルル滞在時に6点、パリ時代には5点描かれていることが記録として残っている。画家の人生の中でも特に重要な時代であるアルル滞在時に手がけられた作品の中でも最も傑出した作品のひとつでもある。本作の観る者の印象に強く残る鮮やかな黄色の使用については、ゴッホが誘った画家達と共同生活をするために南仏の町アルルで借りた、通称「黄色い家」を表し、そこに描かれるひまわりは、住むはずであった画家仲間たちを暗示したもであると指摘する研究者もいる。また、ひまわりの強い生命力と逞しいボリューム感を表現するために絵具を厚く塗り重ね描かれたが、それは同時に作品中に彫刻のような立体感を生み出すことにもなった。」
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あやしい絵エントリー9番。
●ルソー、アンリ「子供と人形」(1903年)。
「とても可愛いとは言い難い不気味な印象を与える赤ん坊。これこそが画家ルソーの持ち味。赤ん坊が手にしている人形の顔は歳を取った経験豊かそうな大人。どうやら無知で幼い赤ん坊に大人が支配されてしまったかのように見え、本来の関係が逆転。何とも面白い。」(名画の怪コメントより)
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ミレイ、ジョン・エヴァエット「オフィーリア」(1851〜1852年)。
本作に描かれるのは世界で最も著名な劇作家のひとり(英国出身の)ウィリアム・シェイクスピアが手がけた四大悲劇≪ハムレット≫第4幕7章の一場面である。本場面は、デンマーク王子ハムレットが父を毒殺して母と結婚した叔父に復讐を誓うものの、その思索的な性格のためになかなか決行できず、その間に恋人オフィーリアを狂死に追いやってしまう(オフィーリアは小川で溺死してしまう)という内容。本作の背景はサリー州ユーエルに程近いホッグスミル川の風景を元にして描かれているが、自然主義的な美的理念に基づき、本背景の中に描写される草花には象徴的な意味が込められている(ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折、ケシの花は死を意味している)。」
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クリムト、グスタフ「接吻」(1907〜1908年)。
「クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃に自身らをモデルにして当時タブーとされていた題材である≪接吻≫を主題とし描いた作品。
クリムト独自の世界観による金箔を使用した、いわゆる黄金時代期において頂点を成す最も優れた作品としても広く知られている。
眩いばかりの黄金の中に溶け合う男と女は非現実的でありながらも極めて深い思想と官能性に満ちている。それは平面的に描かれる男性の纏う衣の装飾≪四角≫と女性の纏う衣の装飾≪円形≫が補完を意味しているものであり、同時に男女の間に潜む敵意をも表しているからに他ならない。また男女が立っている色彩豊かな花の咲く崖が愛の絶頂期においても愛や幸せと疑心や不安が紙一重であることを示し、否が応にも見る者にその先に待つ悲劇を予感させる。 」
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あやしい絵エントリー10番。
●アンソール、ジェイムズ「ストーブで暖まる骸骨」。
「こんな光景見たことない!動かないはずの骸骨が生きた人間のように振舞っている。横たわる黄色い服を着た骸骨はアンソール自身とも言われている。長身で痩せぎすで青白い顔をした彼は体が弱く、黒い服を愛用していたこともあり、あだなは“死神ピエロ”だった。」(名画の怪コメントより)
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続けてあやしい絵エントリー11番。
●モッサ、ギュスターヴ=アドルフ「彼女」(1905年)。
「衝撃的!目のやり場に困るのに目が離せない怖怪しい“聖なる魔女”太ももについた生々しい赤い手形が怖すぎる・・・」(名画の怪コメントより)
股間にミニ黒猫が(;^_^A
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まだまだ行く、あやしい絵エントリー12番。
●キッテルセン、テオドール「湖の怪物」。
「夢か現実か!?湖から青白いサーチライトのような不気味な光。目を合わせない方がいい・・・かも・・・吸い込まれるかもしれないぞ。」(名画の怪コメントより)
日本の河童みたいですよね?
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さあ、早いもので最後のあやしい絵エントリー13番を飾るのは超メジャーなあの作品・・・。
●ムンク、エドワルド「叫び」(1893年)。
「実体験を元に描かれたもの大自然から聴こえてくる恐ろしい“叫び”はムンクにしか聴こえていないのだ。その恐怖から逃れるために彼は耳をふさいだ。毛が抜け落ち、血の気が失せ、目が点になってしまった。」(名画の怪コメントより)
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※イベントの名画の怪15作品のうち13作品を取り上げました。
あやしい絵シリーズはここまでで・・・

ここからは一気に2Fまで上がって、さらに降りた1Fにも広がる現代ゾーンです。
マルク、フランツ「黄色い牝牛」(1911年)。
「マルクは動物を描いた。
人間に裏切られた汚点のない、純粋無垢の自然の守護者として、、、。マルクはこういった感覚を表現するためにマッケ同様、色彩を用いて強調した。マルクが描く動物達はまったく平和で森の中でくつろいでいる。彼らは自尊心の怒りなどなく、生きることのできる種なのである。」
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ピカソ、パブロ「自画像」(1901年)。
「青の時代を代表するピカソ20歳の自画像。
1901年初頭、パリに同行した親友カサジェマスが悲恋が原因で自殺。その悲しみによってピカソの青の時代が始まる。」
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続けてピカソ、パブロ「玉乗りの少女」(1905年)。
「1905年、青の時代は終わりを告げる。
この年、青一色であった彼のパレットには、灰色が、そしてしだいに暖かい赤色が加えられていく。彼の得意とする痩せこけた少し不気味ともとれる女性像がサーカスのキャラクターたちと共にキャンパスを埋めていった。世間的には日陰者であるサーカス団の描写であるが、憂鬱感や社会的疎外感よりもむしろ陽気さや楽観主義を主題に表現させた。
この絵画のピンク色の色調は『ばら色の時代』の特徴である。但し少女のコスチュームは薄ら寒い灰色で彼女のしなやかな体はやや異彩を放っている。柔軟な彼女の体、丸みを帯びたポーズ、弾むようなボールの形は角ばった筋肉質で四角い箱の上にどっしりと構える巨大な男性と明らかに対極に位置する。
ピカソは造形の美を表現する画家だと言われている。彼の絵画における最大の興味は造形であり、彼はそれこそが彼自身の芸術的命題と捉えていた。それゆえに、この彼の関心がどのように彼の後期作品に影響を与えたかを知った上で彼の画家人生の初期において通常の立体物がとても躍動的かつ巧みに描かれていることを見るのは大変興味深い。」
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〆はダリ、サリバドール「ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造:内戦の予感」(1936年)。
「スペイン内乱の不安を察知してダリが描いた作品である。この絵画を描いてから6ヶ月後に実際に内乱が勃発した。そうしてダリは『潜在意識には予言力がある』と気付いたという。手と足だけの奇妙な怪物が首と足と乳房だけの怪物のような生物と取っ組み合いをしている不思議な作品。一見すると2体のように見える。実際は1つの身体であり、これは自己分裂・矛盾を起こし始めているという内面を表現している。怪物の手足や指先が茹でたインゲン豆に見えることから、この題名が付けられており、今にも弾けだそうとするインゲン豆と今にも起こりそうなスペインの内乱をダブルイメージで表現している。なぜインゲン豆なのかというと、内戦状態にあり貧困に苦しむスペイン人がよく食べていたのがインゲン豆を茹でたスープだったことから。 また、美しいカタルーニャの空を伝統的な技法で描くと同時に革命的な前衛表現を作品に取り込み、前衛と伝統が対照的となっている。 」
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ここまで長いながーーーい!!
ミニ目録的な日記にお付き合いくださった皆様ありがとうございました。

これでも見た作品のほんの一部で音声ガイドをしっかり聴いて終了した時間は16時30分。
来館して実に約5時間ものひとときを過ごしたことになります(゚Д゚;)

顧みると本物のない日本一入場料の高い美術館と揶揄されながらも一定の人気を誇るこの空間が持つ意味を全長4kmにも及ぶ陶板作品の中に感じることができた、セカンド大塚国際美術館でありました。
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PS・盛り上がりすぎて自分土産にも熱が入り、ミュージアムショップにて・・・
ミニ陶板絵画(3240円税込)2点、図録300選(2376円税込)、怖い絵文庫本(720円)、大塚国際美術館卓上カレンダー2018(648円税込)と、かなりノリノリに消費したことを付け加えておきます^^;
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