夕休みです。
あべぴょんの友達にあらずんば、人にあらず、という世の中は、終わりますかね。
平家にあらずんば人にあらず、をもじっております。
さすがに、あべぴょんは、やりすぎましたかね。
私は、天下分け目の関ヶ原かなと思ったのですが、これから始まるのは、どうやら、平家物語のようですね。
平家は、全盛時代から、徐々におとろえたのではなく、全盛時代に、一気に転落していったのですからね。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
有名な、平家物語の冒頭の一節が、脳裏をよぎりますね。
すごいなー。
深いなー。
今の日本の問題は、少子高齢化であります。
未来に希望を持つことが出来ない人が、すごい勢いで増えています。
老後の問題は待った無しですが、実は、少子化の方が、分析が必要なんですね。
まぁ、子供が生まれて、その子が幸せに育つという、確信がないと、きついですね。
まぁ、明日は、今日より明るいという、フロンティアがある時代は、分け前が、大きくなるわけですから、大儲けする人達たちはいるものの、ほとんどの人は、それなりに、暮らしはよくなったわけですね。
それが、今日では、先進国は、もう、パイの大きさは、変わらないくらいになっているくらい成長は起きないんですね。
その中で、儲ける人が出るということは、損をする人が出るわけであります。
アメリカの人は、これをゼロサム社会と呼びました。
ここで、金儲けするということは、すごく貧乏になる人もいるんですね。
こういう社会に、世界中がなりつつあります。
そういう、低成長下でありながら、安定していたのが、江戸時代ですね。
特に、江戸は繁栄していました。
その秘密は、共存共栄の精神でありますね。
お年寄りが、笑顔でいられる社会。
江戸には、年金制度もなく、生活保護制度もないのですが、死ぬまで、あまり暮らしの心配をしていなかったようですね。
おとっつぁん、お粥が出来たわよ、娘がいうのは、時代劇の定番のシーンかもしれませんが、今の日本は、もっと悲惨なことになっているのかもしれません。
それは、助けてくれる、長屋の存在がないからなのですね。
病気や怪我で動けなくなっても、なんとかなってしまう、江戸の長屋は、ある意味、このゼロサム社会に、一番もとめられている発想なのだと思いますね。
貧困家庭を、30戸集めて、長屋を作ると、子供は、多様な価値観に触れながら、大切なものは何かを学んでいきますね。
それが、核家族だと、東大に入るのが一番だと勘違いしてしまうかもしれません。
江戸の長屋方式だと、暇な人が、社会を語ったりしてくれたりします。
私も、どこかの長屋で暮らしたりするかもしれません。
そうして、松下村塾ではないですが、俊英が、その長屋から育つのかもしれません。
いろいろ、コミュニティの中で育つといいのですね。
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