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2017年08月15日04:47

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『集団的独語』

幼児期の子供は自己中心の固まりみたいな存在じゃあないですか?公園で遊んでる子供たちの様子見てたら、いっけん会話のキャッチボールがなされてるように見えても、よく観察すると、各人が思い思いの事を喋っていて会話が一方通行だって事に気付くと思います。自分は自分の言いたいことを言い、相手は相手で、それに応じて話すのではなくて、同じように自分の言いたいことを喋ってるんだ。そこには大人同士のようなコミュニケーションは成り立っていません。  これを『集団的独語』といいます。学童期になっても子供のパーソナリティの中には自己中心的傾向は継続していくわけですが、その一方で、勝手に自分の言いたいことを言い  相手に聞き入れなくても意に介さないという集団的独語は影をひそめていきます。そのため、自分の考えが相手に受け入れてもらえなかった事の不満が大きくなるため  相手に頭にきたり、仲間集団から抜け出て  さっさと家に帰ってしまったりします。
だけどこうした子供は、家に帰っても不満は募るばかりでテレビでスカッとする番組みたり、ゲームに打ち込む事で、不満感だけは払拭させる事はできるが肝心な対人関係のルールを学習したことにはならりません….そうした一種のジレンマの中で自分の欲求を受け入れてもらうには、自分がどう振る舞えばいのか…相手の意見を大幅に譲って受け入れてあげる…険悪な雰囲気になっても、仲間からつかず離れずの状態でいて、夕暮れどきとなり皆が家路につくころ『このおもちゃを貸してあげる』と和解ムードにもっていき  明朝また、いつものように挨拶を交わし  一緒に登校できる状況を作り出す。こうやって対人関係のルールを学ばなければ、将来対人関係やコミュニケーションの問題で自我が傷つきやすい人間が出来上がってしまいます。

基本学習ができなかった人は思い切って他者受容を積極的に心がけるべきである。思春期頃から、男女共に感受性が敏感になるから、この時期の感情の処理の仕方に問題があるとその後の対人関係で苦労する。青年期になると、些細な刺激に対しても敏感に受けとめ、強い感情反応を引き起こす傾向があらわれてくるんだよ。それだけに、周囲の何気ない言動に対しても自我がひどく傷ついてしまうんだよ。それに加えて青年期の感情は不安定で、極端から極端へと大きく揺れ動く特徴がみられて、これを【不安定】
と呼ばれてるんだ。仲のいい友人同士であっても、些細な言動から心が傷ついてしまって憎しみの感情を抱くようになるんだよ。また、ちょっとした失敗を機に自ら全人格を否定するような絶望の感情にとらわれたりすることも珍しくない。このような内面の葛藤を上手にコントロールできるようになることで、社会性が身につくようになり、成熟した大人のパーソナリティーが形成されるようになる。この時期の葛藤の処理が思わしくないと、社会人になってから、自我が傷つく機会が多くなります。思春期から青年期全般を通して、相手の立場に立って情報を処理し、判断する能力が育成されます。この能力がグンと伸びてはじめて周囲の人たちと親密な人間関係を構築していく事の大切さを認識できるようになります。そうすると自己評価が安定してくるので、必要以上に自我が傷つく事はなくなってきます。社会生活を営む上で自分の思い通りにことを進めらる事は、ほとんどないのが現実です。また、他人から中傷されたり攻撃を受けることも決して少なくありません。そんな時、ディフェンスメカニズム(防衛機制)を用いる事になるわけだけど、ディフェンスメカニズムの用い方に上
手な人と下手な人がいることは確か。
みんなはディフェンスメカニズムを上手に活用して、自我を挫折から守れているかな?
経験の積み重ねこそ傷つきやすい自我から脱却する方法なんだよ。生きるということの意味は、難課題に直面した時、いかに前向きにその課題の解決をはかるべく努力することが出来るで決まる。その意味でも強靱な自我、少しぐらいでは傷つかない自我を作り上げなくてはならないのさ。そこでディフェンスメカニズムの用い方の上手、下手が問題になります。上手なディフェンスメカニズムの用い方が出きるか否かの背景には、幼少時の親のしつけ教育のあり方次第なんだよ。


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