さっきまで
降ってたのね
道が濡れてる
木の葉がきれい
ちょっと涼しい
木のてっぺんは
お気に入り
昨日はモズ
今日は
誰が来るかなあ
今日は10時45分に家を出てA子のマンションへ
3人乗せて学校でA子の個人面談
待ってる間は車の中でゲーム、いつの間にか2人分の個人面談になった
朋が1年生だなんて^^
この面談が終わってやっと夏休みの気分だと、A子が言ってた
そんな時代もあったなあ…
長男はできる子と言われてあまり行きたくないという思いも無かったけれど、元々劣等生の私学校はどうしても苦手だ
娘が学校を終えたとき、ああこれでやっと学校から縁が切れると思った
そうしたら今度は孫の学校で
だから私は寄りつかない^^;
学校に良い思い出なんか無かった
でも、それでも居られたのは、4年生の時から学校の花壇があったから
ニワトリとウサギとインコの小屋があったから
そう、だから授業の無い夏休みの登校は、何より楽しかった
今気がついた
そうやってみると、私は最悪と思うときでも、どこかにちゃんと居場所があった
そこが有ったから今の私が居ると思えるところがあった
学校の花壇の他に、小学校の夏休みは福島いわきの母の実家に、もちろん爺婆は居なくて伯父の家だったけど
母と離れて、1年に1度体重がぐんと増えるのはその田舎暮らしだった
よく働いたし…家ではしないご飯作りも、掃除も洗濯も、五右衛門風呂のお風呂沸かしも
夕方、五右衛門風呂に火を付けたときの匂いも、音も私の中に今でもある
そういうことがあったから私は私で居られた
家の裏に杉の木があって
紙くずをほんの少し燃やして、その上に拾ってきた茶色く枯れた杉の葉を乗せて、そのあとに細い小枝を乗せて、そして薪割りした薪を乗せて
暑い夏でもその火の前に居るのが好きで嬉しかった
伯母の畑についていって
とんちゃんだけだね、みんな畑についてきたりはしないのに、なにがおもしやいんだか・・・なんて言われて^^
どこに行き帰りするときでも、ヘビを見たら全速力で逃げるのに、どんくさい私の全速力はたかがしれてるけど
それでも、ミョウガを採りに行き、キュウリをもぎに行き、ナスを取ってトゲが刺さって、インゲン豆を取って
台所くずと、私が見落とした太くなったキュウリを鶏小屋に持っていて、コケーコケーと啼かれながら
そんな時間が有ったから、私が居る事が出来た
この生活を楽しいと思えたから、迷いもなく園芸高校に行けた
家にも、学校にも、なんの楽しみもなく、食べることさえ苦痛だった女の子だった私が、どうして生きている事が出来たのかと思うと書いたらきっと大げさなって思われると思うけど
そのとき時に、大切な場所と時間が有ったから
今の私につながっている
どんなに暗くて、淋しくて、辛くても、私は私をキライにならなかったから、どうしてそうだったのかわからないけど
私だけは私の味方で居てあげようとずっと思っていた気がする
誰に教わったわけじゃないのに、それが私を守る方法だったのかなって
だから、悲しい顔をした子どもが気に掛かる
子ども時代をどうにか過ごしたら、きっと私みたいにおばあさんになれるよって…
明日はもう1日家に居てのんびりぐうたら^^
明後日は、埼玉の病院でピアサポートのお当番だから
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