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2017年07月13日12:02

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こんな甘いもんじゃねぇ

1975年生まれがバブルを語るだ?冗談じゃない。こちとらバブルの真っ只中で必死にもがいてたんだ。

アッシーだメッシーだ、イタ飯だ巨大ラジカセだ、そんなものバブルでも何でもない。

本当のバブルを教えてやろう。

1)知り合いに不動産屋のオヤジがいた。毎晩銀座赤坂六本木で豪遊。何人も取り巻きがいるから本人も何人で銀座のクラブへ来たんだかわかんない。店もどこまでがこのオヤジの連れかわかんない。だから払いはいつも丼勘定。まぁ大体座って一人5万円の店だったな。筆者なんぞはサラリーマンの若僧だったが、筆者が同店で過日飲んだツケまで全部払ってくれた。

ある時「昨日やられたよ。世界で一番高いお○○こだ」と嘆いてたので、幾ら払ったのか聞いたら「一発500万」だと。

聞いたら前から「この女いいなぁ」と思うねぇちゃんが銀座のクラブにいたそうな。その女と同伴(女の出勤前の飯)して、銀座を歩いてたら女が毛皮屋の前で「このコート欲しい」と500万のブルーフォックスのコートを指さしたそうな。「お前これ買ってやったら俺のものになるか?」と冗談で言ったら真顔で「うん」と頷く。

おっさん有頂天になってその場でコートを買い、お姉ちゃんと店に行き、閉店まで飲んで
お姉ちゃんのマンションに二人で行ってめでたし、めでたしとなったそうな。

翌朝会社へ行って夕方ウキウキしてお姉ちゃんに電話した…らつながらない…。当時は固定電話。「この電話は現在使われておりません」…。驚いてねぇちゃんのマンションに行ったらもぬけの殻…。

当然店も何の連絡もせず辞め、その後は行方知らず…。
「まぁ夜逃げ屋を使えばその程度は出来るだろうけど、そんなに嫌だったんかなぁ」
おっちゃんはそれ迄のクラブへの払い、ねぇちゃんへのプレゼントやら同伴飯やら、千万は軽く超えるくらい遣っただろうがそんなものは屁でもなかったらしい。でもそれだけ嫌われてた事がショックだったようだ。

で、その晩も全く反省なしに夜中まで豪遊…全く懲りていなかった…。

2)同じく銀座のクラブ。東北の某地銀の頭取の接待をしていた。大抵こういう輩は羽を伸ばしたいから一人で来る。夜は暇である。だから夕飯を接待した後銀座で遅くまで飲む。

ふと気付くと相当お酔いになっておられるご様子…。隣りのねぇちゃんがお気に召したらしく、訛りの強い東北弁で口説いていたのだが、それがまぁストレートど真ん中。

「なぁ、やらせろ、やらせろ」…・

こちとら若僧で接待する側の末席だから頭取のご意向を忖度しママちゃんと交渉。「あの娘は駄目だけど、そういう子ならいるわよ」私「あんだけ酔ってるから、もう何でもいいから都合つけてくれ」

何でもいいのが見つかった。さぁ若僧はそれからが大変。頭取のホテルの部屋は接待する側が取ってるからわかってる。ハイヤーを2台確保(これだってハイヤー会社の電話なんかつながらないからハイヤー会社まで行って無理矢理交渉)、その後何でもいいのを1台目のハイヤーに乗せてニューオータニまで運び、フロントで適当なウソを言って鍵を預かり、何でもいいのを部屋に入れる。

でクラブへ戻って「頭取、ご用意出来ました」「うむ、ご苦労」
その後はどうなったかは知らない。

でも考えてみたらポン引きじゃねぇか、俺。

他にもノーパンしゃぶしゃぶとか、深川の料亭とか、凄まじい欲の限りの話は幾らでもある。主に肉欲と金欲だがね。男だけじゃなく、女もだぞ。

聞きたきゃ幾らでも聞かせてやる。「陰湿で疲弊した時代」よりはいいが、無茶苦茶体力が必要なのは覚えとけ。


なんでもアリの狂乱時代!? バブル時代に起こっていた現象と人々の生活に迫る【インタビュー】
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=4665696
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