目的地に行くと云う道具としての列車旅から、その列車に乗るための旅へと変化。
元々、人間は同じ様な歴史を繰り返す。
人は長時間泳げない。
外の陸地を求め、船と云う道具が発明される。
かつての船は、移動手段の只の道具だった。
まぁ、今も基本はそうだけど。
絶対に行けなかった地が目的地となり、その地に行けるようになる。次に速度を求めるようになる。
帆船から動力船へ。
益々速く目的地に行けるようになる。
船は速く。
その速度競争が過激になり…。
速く行く行為には飛行機に推移する。
人が、速く行くと云う目的からは船は外されるのである。
船には、飛行機にない大きさと優雅さと、今で云う『時間の長さ』を楽しむ事ができる。『成長期』には無いこと。
そう思うと、今の列車にも『熟成期』が来ているのであろう。
「走るホテル」沿線住民が歓迎
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4625428
追伸…。
僕は〜
急がない旅は好き。
中々出来ないが。
でも、
急がない=豪華
とはならない。
車体の下から聞こえてくるレールの音。
チープなスピーカーから流れる到着音。
その到着音の間から聞こえてくる『ぶっきらぼう』な車内アナウンス。また、そのスピーカーから少し遠くからから耳に入るレールの音。
その1つ1つが旅情を醸し出す。
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