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2017年05月30日16:39

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藤城清治展、古津八幡山古墳

快晴の一日、来週までで終わりの藤城清治影絵展、と会場周辺の古墳遺跡「古津八幡山遺跡」をみに出かけた。場所は車で20分弱の新津丘陵。影絵展会場の新津美術館は県立植物園、弥生の丘、石油の里、などのど真ん中にある。天気予報では午後は曇る、ということだったし到着時は駐車場ほぼ満車で美術館内の混雑が予想されたので古墳遺跡から。

まずは弥生の丘展示館

藤城清治展に時間を使いたかったので普段ならじっくり見るビデオ類はすべてパス。カラーでしっかりした作りのパンフレットにほとんど重複した内容が展示されていたので、コンデジ写真も最小限にしてたら携帯では一枚も撮ってなかったw。石斧と鉄斧で切り倒し実演をみせてるビデオと、環濠集落のジオラマ(人形で採集、製鉄、環濠建設などを展示)がおもしろかった。また古墳時代のあとは製鉄地域として盛んだったらしく、最後に行った県立埋蔵文化財センターの入り口あたりに埋め戻されている製鉄遺跡の炉と炉壁にはりついた鉄とが現地の状況で再現された展示も興味深い。奥出雲のタタラ製鉄では台形にもりあげた炉を使っていたが、ここでは斜面を掘り込んでフイゴをおくスペースと溶鉱炉を作っていたのだ。また、同じく斜面を掘りこんで登り釜をつくった須恵器工房もあったらしい。

新潟県内の古代遺跡としては、シバザクラをみた魚沼市や隣接の十日町市で出土する火炎式土器が有名だが、ここはそのあと、稲作渡来後の弥生時代の遺跡。稲作により養える人口が飛躍的に増加、同時に蓄えた食料の争奪、という私有財産と争いの時代に突入。丘の上、という稲作地とは離れた場所に作られた集落、というのは、戦に備えた防御的役割のある集落なのだそうだ。九州の吉野ヶ里ほど大規模ではないが、百メートル単位の環濠で村の周りを防御し、縦穴住居に住んでいたと考えられるらしい。で、ここの目玉である八幡山古墳は環濠集落時代のさらに後に建設、その後も平安時代のお墓や近世の畑、現代には高層気象観測施設など、時代ごとに多様に利用されてきた場所らしい。

古来、戦国期の城跡の山とされていたが、運動公園の候補地になったときに発掘調査され初めて円墳であることが判明。20回以上にわたる発掘調査で、より古い環濠集落と古墳時代の円墳<新潟県下最大の直径60mと確定された。ただし円墳からは埋葬施設は出土せず、これは平安期から数回、丘の頂部が削られ、そのときに削り取られたと考えられている。<つまり今年みた群馬の古墳などと違って石室、という存在は無かった模様

遺跡として再現されているのは、環濠集落と縦穴住居、周溝墓、前方後方墳墓、とテラス付き円墳。弥生館裏手から山道を登っていくと整備用の砂利道とクロスした後は階段で丘に登っていき、遺跡の南部の芝生広場に出る。この歩道は桜の木に挟まれているので、来シーズンは花見に来るのもありかも。植物園は蓮池が有名なので、そのシーズンを期待し今回はパス。石油の里の石油王の館は紅葉が有名なので、そちらもパス<最低限あと2回はここ来ないといけないw

歩道で芝生広場に上がったところから北の復元住居2棟をみる
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芝生広場は歩道で上がった場所から右手にも広がり、南北方向の環濠が復元されている。案内図によるとそのあたりにも住居跡はあるのだが、埋め戻されていてわからず。

住居の脇の樹木の花
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復元住居は定期的に保存目的の燻煙をやっているそうだが、この手前の2棟は一番最近やられたらしく咽せるくらいの煙の香り。中には囲炉裏、薪を重ねた棚、復元土器などが並べられている。弥生館の開館時間帯は自由に中に入れるが、入り口からしか明かりは入らないので懐中電灯などないと滞在は難しいだろう。円墳に近い1棟のみ施錠されていた。

遺跡の南地区と中央部環濠集落を区切る環濠より環濠集落をみる
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環濠は本来は2mほどの深いV字切れ込みらしい(弥生館に断面のはぎ取り模型があった)が、中央部遺跡の一部を除いてケガを避けるためか埋められていて、掘り上げた土塁だけが目立っている。ここの環濠も一応木の橋をかけてあるが不要なくらい溝は浅い。

環濠集落の丘にあがって手元の案内パンフ(亀田の区民センターでもらっていたもの。弥生の丘内でも2カ所、立木にパンフを詰め込んだ郵便受けが取り付けられ自由にとれるようになっていて素晴らしい<閉館時パンフがとれないと困る)を見たら、環濠の東側に周溝墓がある、とわかったので、まずそちらに。藪の中に案内標識があったので、ほとんど人が入ってない道を蜘蛛の巣と戦いながらかき分けたら、環濠のすぐ外側の周溝墓にでた。左の斜面が環濠の外の土塁で、けっこう斜度がきつく、乗り越えて、は足下自信がないと難しいかも。なら歩道をもう少しきれいにしておこうよと思うのだが汗
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二つ重なって見えるが、同じ溝を共有して二つの墓のあとが発掘されているらしい。

墓の上に立って環濠越しに復元住居、奥の円墳をみる
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土塁の上に立って、空堀をみる
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この部分だけ本来の深いV字で再現してある。

が戦国時代の堀の利用で考えると、土塁の内側に溝、ってのはおかしい。溝はそれなりに深いけど外の土塁に上ったら環濠の集落を攻め放題じゃないか。外側に溝があって中に土塁なら防御に役立つけど・・・・疑問が残る復元である。発掘では溝ははっきりしているが盛り土は残ってなかったらしいので、何らかの学術的判断でなのだろうけど・・・

同じく土塁の上から北(円墳のある方)をみる
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でまっすぐ円墳にむかう。環濠集落との間に詳しめの説明板と、立木には案内パンフの郵便受けが。北側から遺跡に上ってくるとここにたどり着くからだろうか。
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古津八幡山古墳自体は元の地表面を保護するために、もともとの地形に1m覆土をのせた状態で再現されている。南西側には幅が広く深い環濠があり、そこから掘り上げた土が、主な建設材料らしい。

墳丘の上からの景色
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北側、新潟市街地方面、白い屋根のビッグスワンや高層ビルがわかるだろうか?

南側、古墳時代にはすでに山に還っていたはずの環濠集落をのぞむ
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環濠集落の丘の中央部には前方後方墳墓が
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これも丘の盛り土が残っていたわけではなく、周溝と墓の遺構から推測して復元したもの

公園地中央部の藪にエゴノキの花
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メインの藤城清治展へ

昼休みの時間帯からか、車の数が半分近くに減り、館の入り口近くに移動してから入館。

展示会場は2階に二つ、1階に一つ、だが、1階のはデッサンをのぞいては値段の付いた作品ばかり。小さめので十万円以上から・・・売約済みがついてるのは無かったが、次々入れ替えてるのだろうか?

2階の会場入り口にネコのシーソーモジュールでゲートが
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撮影については明記のあるところでのみ禁止、と、微妙にオッケーだったっぽいのだが、まわりの雰囲気でカメラは出さず心に焼き付ける。

民話の絵本や『暮らしの手帳』誌で親しんでいた藤城清治さんの影絵展は、広島時代2015年だったろうか、デパートの特設会場を使っての展覧会を見たことがあり今回が2回目。そのときはライトボックスを使っての展示に感激し、原爆ドームから無数の折り鶴が飛び立っていくシーンや、311被災地での作品にも衝撃をうけた。

入り口の略歴などは通過して中に。最初は少年期の油絵作品など。近所の少女を描いた作品は、遺族から返却されたという。

プロジェクションマッピングや、水面と鏡を使った展示(コスモスが無限に続くのはきれいだったが、博多屋台をとりあげたのはちょっと興ざめか。あと覗き方をミスすると自分の顔も写ってしまって・・・汗)、床面にプロジェクターで水たまりを映し出す、など、単純にライトボックスを通じてみせるだけじゃなく展示に工夫が凝らされていた。が、関西弁で声高にしゃべるカップル(耐えきれず半分くらいの場所で注意したが)がいたりしてちょっと消化不足感じながら展示室2つをみる。1つめは人生を辿りながらファンタジー作品。2つめは札幌時計台と長崎の風景に始まる地方の作品、最後に昨年完成したばかりというアッシジの聖フランシスコ連作など、聖書世界が。

中二階では地元テレビ局が製作した本展覧会を紹介する番組が。新潟では長岡、万代島美術館につづいて3回目。前2回では佐渡を描いた作品が作られ、新潟の市街地を俯瞰した作品、シンボルである万代橋の作品などがあるが、今回は恋人岬と弥彦神社を新作。今年雪が消えてから取材にきていて、開会の数日前に完成したホヤホヤのものなのだった。これ見たら、入り口から、かなり見れてない作品も多くて2周目を決意。

手の作品から、人がいて見られなかった作品や、マッピング、動画紹介をじっくり見る。広島の時は311の鮭が遡上する薄原の作品がメインだったが、ここでは防災庁舎のスケッチと陸揚げした漁船のスケッチ風景と作品のアップがエンドレスで流されていた。展示室1のプロジェクションマッピングとされた作品は、実体にいろいろオーバーラップさせて写す一般的なものではなく、幻灯アニメーションというべきもの。作業部屋での藤城本人と思われるシルエットの周囲に小人が遊ぶ作品と、壊れる橋の物語。しかし展示室2には着想をえるきっかけになったという会津若松城に映し出されたプロジェクションマッピングが上映されていて、これは、地元ヒーロー庄助さんが愉快に踊り回る中に、藤城小人などが加わり、季節の風景がオーバーラップされる素晴らしい作品。現地で見たかった、と思った。

ミュージアムショップで購入の絵ハガキ
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袋は新潟に配慮したのか朱鷺をあしらった作品が

現地の新作は、けっこうギリギリに作られることもあってか販売には入ってないことが多い。広島でもそうだったが、今回は、恋人岬の夕焼けはあったが弥彦神社は見あたらず。

洋犬ばかりなのがちょっと残念なワンワンサーカス
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もう1つ欲しかった猫乃場所(朝青龍などに交じりアビシニアン海とか(笑))は見当たらず…

最後は隣接する新潟県埋蔵文化財センターを見学。美術館横の石畳の歩道を走らせ車も移動してみる。

1階の常設展示は縄文期から近代にいたる史料を展示

石器の材料である黒曜石、新潟県内にも産地があるのだ!
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シバザクラの魚沼市や十日町市で発掘される火炎式土器。芝桜まつり会場の展示は写真だけだったが、ここには魚沼産の現物がある
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2階にも復元土器の展示があり、また、復元作業中の作業室がガラス張りで見学できるようになっている(平日のみ)
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1階ではこのあと十日町市、糸魚川市、長岡市に巡回する展示会「六反田南遺跡、縄文の造形美」が

見事に装飾された縄文土器
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糸魚川のバイパスで発掘の六反田南遺跡、は、石斧の製造拠点だったらしく、完成品はほとんどないが千点にも上る制作途上の石斧が出土した
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古墳、だけでいうと、群馬で集中的にみた幾つかに比べると石室もまったくなかったり、葺き石もないなど、ちょっと物足りないが、いろいろな時代の遺物など総合して、まあまあ楽しめた。ま入場料無料だし。

駐車場から裏にまっすぐ出たら公園らしき山が見えたので行ったら、つつじとさつきの公園。6月が花季で登山。
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