目の見えない方を平安神宮にご案内した。
応天門を前にして、平安神宮の歴史の話のなかで創建はいつでしょう?
やはり平安時代と答えられた方が多かった。
意外や明治28年ということが驚きのようでした。東京奠都によって廃れゆく京都。
何とか経済的な復興を目指し、何とか第4回内国博覧会開催に漕ぎつける。
そこで平安時代の大極殿を5/8に縮小してシンボルゾーンのしての建物を造ったのが今の平安神宮なのである。
だから、最初はあの大きな鳥居もなく、構造的には神社の形式ではない。
規模を分かってもらえるために柱にも触っれいただきました。
興味を持ってもらうために平安時代は「應天門」の扁額を書いたのは弘法大師だったのですが、應の上の点を書き忘れた。
それに気が付いた弘法大師は扁額に筆を投げつけ無事扁額を完成させた。
ここから「弘法も筆の誤り」という言葉が生まれたなど話して「そんなことはあり得ない」と笑いを取りました。
足元や階段に気を配って拝殿にも行きお参りもしていただきました。
いつもは厳しい監視の方もこの時は大きな声で説明しても優しかった。
お参りが済んで左近の桜、右近の橘にも直接手を触れてもらってどんなものかも知ってもらった。
この後神苑に入ります。
一番気を使ったのは階段や今日からのライトアップのために這わされている電気のコード(及びそのカバー)。
更には小川を渡る石橋。
健常者には気付かないことがいっぱいありました。
手には触れられない杜若の芽が15cmぐらい育っていることとか小川には魚が泳いでいることなど普段は話さないことなども状況を説明しました。
さらに、木々が高く育ってるところでは暗くなって不安になられないこと、木の根っこが地表に出ていて足元が悪いことなどすごく気を使いました。
枝垂れ桜はご覧のようです。
今回は私にとってすごくいい勉強になりました。
気を使って話すところはありましたが、案内の基本は目の見える健常者と同じでいい事が分かりました。
目が見えなくても建物や自然の雰囲気を分かってもらえるのだなということが分かり、冗談で言ったことだって分かっていただけたことが嬉しかったです。
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