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2017年03月29日02:19

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沖縄戦 本部半島の戦い

最近トレーニングのため自転車で本部半島の道を
いろいろ走っている。

本部半島では1945年4月7日から4月20日まで
日本軍1個大隊が米海兵2個連隊を相手に2週間戦っている。
戦力差6倍。

米軍の戦史では事実上日本軍の勝利とされている。
通常兵力差3倍で3日持久が相場。
米軍が苦戦した理由は地形と気象。

本部半島は円形で南、西、北を無にに囲まれ東は盆地。
中央に川が流れる谷と街道があって
南北に半円状で二つに割れている。
山と海の間に狭い平地があるだけで
日本軍陣地の中心の標高450mの八重岳
から360度米軍は丸見え。
理想的な円陣防御陣地でしかも敵は海を背にして隠れられない。
米軍兵士は絶えず射撃されながら
急な斜面にへばり付いて前進するしかない。
しかも4月後半の沖縄は暑い。
天気は連日快晴、平均気温24度という記録が残っている。
沖縄は海囲まれて湿度が高いので
24度でも蒸し暑いし、炎天下で
急斜面を登るのは相当体力を消耗する

1416年尚巴志が北山王国に攻め込んだとき、
北山王は全軍を本部半島に集めて今帰仁城に籠城した。
尚巴志は結局今帰仁城を軍隊の攻撃では攻略できず
調略で城内の武将を寝返らせて城を落とした。

1609年薩摩の島津軍が沖縄本島に侵攻したときは
那覇、首里より先に運天港から上陸して
本部半島と今帰仁城を攻略している。
琉球王が本部半島に立て篭もるのを恐れたのだろう。

もし日本軍が伊江島や国頭に部隊を配備せず
1個旅団全軍で本部半島に篭っていたら
米軍海兵1個師団では攻略できず
南部から予備1師団引きつけたかもしれない。
そうなると首里攻略も遅くなって
5月の雨季も重なり沖縄戦が7月8月まで続いていた。




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