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2017年03月15日12:27

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ムナカタノヒメ。(想像)


・庄子郎女

 尼子娘とも。

 655年に息子を生んだとされていますが、
 父(子には祖父)徳善が死んだのが、この情報によると644年ぐらい。

 だもんで結婚 早かったと思イますねー、
 割と力の在る豪族の、トップが死んでて若い兄弟だけだった。

 その二人の間に挟まれている姫ですよ?
 野心家の他氏がどんだけ群がって、家乗っ取ろうと求婚してきた事やら★
 (それで行き遅れるとか有り得ない)


 そして:有象無象どもを蹴散らして、姫をゲットしたノは皇子様!!

 ――ま、奥さん多い人なんでぇ、何処までハッピーエンドだったかは分かりませんが
 (身分低かったみたいだし。当時の結婚観も在るしねぇ)


・宗像氏實の二女

 大友能直の妻の名は、深妙というらしいが詳細不明。
 氏實は俗字で氏実と書く。

 ポイントだけ言うと、西暦1199年の某日
  源頼朝「息子にイイ嫁いないかのう(チラ)」
  ウチの先祖「ははっ、我が家の遠い親戚に……」
 ――と、イウやり取りによって紹介されてルお姫様。


 ウチの先祖は:仲人なんてホノボノな事してんなぁ、とか思イつつ、
 聞き覚えは無いのでホントかドウカ、――まぁ疑わしいエピソード。
 (軽く当時のVIPだぞ?)

 調べてみて分かったンだけれど:
 この頃の九州武士の殆どは、宗像氏を含め(元)平家方。
 ウチの御先祖は源氏方で、頼朝公としては、
 つまり九州勢を自分の側に引き入れる、相応のコネなり、手口なり。
 必要だった訳ですよ。

 その意味で事実だったのカモなんだよなぁ、
 頼朝サマのこの台詞、彼女を差し出すと分かってて言ってる。
 (鎌倉幕府の情報網が、宗像のコト知らなかった筈ないし。
  状況的にウチの先祖、保身の為に言わされてルとも←全然ホノボノじゃない)

 政略結婚に嫁ぐ姫。
 悪い意味に取れば人質ですが、まぁ、其処まで悲観するような事だったかドウカは。
 いい意味に取れば将軍の義娘だシ。


 http://minatuya.gooside.com///story/161006omake/161006omake00.htm
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