◆ 天皇論「皆薄氷踏む思いで」 「朝生」田原さんに聞く
【朝日新聞】 03/07 05:03
聞き手・佐藤剛志
テレビ朝日系で毎月最終金曜の深夜(土曜未明)に放送中の討論番組「朝まで生テレビ!」が、4月で30年を迎える。
政治家や学者が繰り広げる丁々発止のやりとりを、時に遮り、時に声を荒らげながらも進めていく司会の田原総一朗さん(82)に、番組にかける思いを聞いた。
部落問題・新宗教…「朝まで生テレビ」タブーなき30年
―― 番組では幅広いテーマを扱うが、事前の準備や勉強には相当時間を割く?
そんな勉強ということはないけれど、僕は好奇心が強いんです。
それと長いことやっていますからね。
政治家なら田中角栄さん以後の総理大臣は全員やっています。
経営者も松下幸之助さん以来、主な経営者はだいたい会ってる。
そういうことはあるんでしょうね。
―― 特に印象に残る出演者は。
やっぱり大島渚(なぎさ)、野坂昭如(あきゆき)っていうのは戦争を知っている世代だから、命をかけていましたね、戦争反対に。
番組が終わってから必ず局内の一室に集まってね、長い間みんなで話をするんですよ。
昔はそこでまた討論が始まりました。
―― 1987年にこの番組が誕生した経緯は。
それまで深夜の番組っていうのは、ほとんど再放送だったんです。
ところがフジテレビの女子大生を出した「オールナイトフジ」が話題になった。
それで深夜はいける、何かやろうという話になって、当時のテレビ朝日編成局長の小田久栄門(きゅうえもん)さんから「いいアイデアはないか」と相談された。
深夜の番組ってのは、少なくともギャラは安い、制作費も安い、だから有名タレントは出せない。
それから真夜中で番組が終わると、タクシーやハイヤーで送らなければならない。
だから極端に言うと終電で来て始発で帰れるような長い番組じゃないといけなかった。
どうすればいいかと色々考えたんだ。
冷戦が終わったのは91年だけど、当時すでに冷戦が終わる気配があった。
ソ連にはゴルバチョフも登場して。
冷戦が終わると今までの世界の秩序が変わると。
今までは討論をやると、資本主義か社会主義か、右か左か。
でもこれが変わるなというのがあって。
それと同時に、実は本気の討論というのは面白いんじゃないかと。
本当の長時間番組をやろうと。
僕はその時、プロレスの言葉で「無制限一本勝負をやろう」と言っていた。
「本気の討論」っていうのは、例えば政治家が出て、負けたら政治生命が終わる。
あるいは学者が出て、負けたら学者生命が終わる。
とことんやって負けたら、政治生命なり何なりを失う本気の討論をやったら面白いんじゃないかと思ったんです。
そしたら小田さんが「面白い」って乗って来たんだよ。
当時はまだ「左翼の時代」ですよ。
僕は本当の言論の自由をやろうと思った。
つまり、左と右がほんとにぶつかる。
今や日本では右翼がどんどん強くなっているけれど、当時は完全に左翼が強かった。
だから左右が向き合ってのまともな議論がなかった。
そういう議論が出来る番組を作ろうと思ったんです。
―― 出演者の人選も大変だったのでは。
例えば原発の番組を作る際、まだ福島の事故が起こる前ですよ、当時は原発は安全で夢のエネルギーだといわれた。
当時、原発反対派は推進派のことを「利権の塊だ」と。
推進派は反対派のことを「何の根拠もなく反対と言っている」と。
両者が一緒に議論することが全くなかった。
それで推進派と反対派を口説いて回った。
そうして日本で初めて、原発推進派と反対派の討論が成立したんです。
―― 番組では天皇制についても初めて本格的な議論をした。
88年秋に昭和天皇がご病気になって重体になった。
それで、みんな自粛自粛という話になった。
でも僕は今こそ天皇論をやるべきだと言った。
天皇の戦争責任までやるべきだと言った。
それで小田久栄門に伝えたら、「バカ、冗談じゃない」って断られた。
でもそれを3回交渉して、4回目に当時の日下雄一プロデューサーと一緒に「実は企画を変える。
ちょうどソウルでオリンピックがあるから、『オリンピックと日本人』でいきたい」と。
すると「それはいい企画だからやろう」と言われて。
でも「朝まで生テレビ」は生だ。
始まるのは夜中の1時過ぎで、小田さんは寝ていますよね。
終わるのは5時前だからまだ寝ていますよねと、だから仮に本番ですり替わっても小田さんは気づかないと。
「俺をだますのか」という、そういう話し合いを4回やった。
でも小田さんの偉いのは、最後はだまされること承知でOKした。
新聞のテレビ欄は「オリンピックと日本人」。
最初のちょっとだけ五輪選手を出して、本番中に「今日はこんなことやる日じゃない。
やっぱり天皇論をやろう」と言って、大島渚とか野坂昭如とかそういう連中に入れ替えて、天皇論をやった。
ところが面白いのは、そんなの初めてでしょ。
だからみんな、なかなか踏み込めない。
そしたら日下プロデューサーが出てきて、「あなた方が言ったから天皇論をやったのに、まるで皇居の周回マラソンじゃないか」と。
周りを走っているばかりで、中に入っていないと言われて。
それでみんな薄氷を踏む思いで入っていって、天皇論、戦争責任論をやった。
そしたら視聴率がとてもよかった。
月曜に小田に謝りに行ったら「悪いけど大みそかにもう一回やって」と言われた。
―― 他に印象深いテーマは。
被差別部落の問題もやった。
三つの団体があって非常に仲が悪い。
この三つを口説くのに、主に日下さんだが半年くらいかかった。
そして3団体とも出した。
これは画期的なことだった。
暴力団新法ができる時には、何でこんな法律ができるのかを考えるために暴力団も出した。
ところがテレビ朝日が暴力団は社内に入れられないといって、中継にしたんです。
一体この新法は何なのかと。
そして暴力団とは何なのかという話をやりました。
―― 番組への姿勢の根底にあるものは。
僕は小学校の5年生の時に戦争が終わるんです。
そして8月15日に天皇の玉音放送があった。
1学期までは、この戦争は聖戦だと、アメリカやイギリスによって植民地にされているアジアの国々を解放するための戦争だと、そう教えられた。
君らも早く大きくなって戦争に参加しろ、そして名誉の戦死をしろと。
ところが2学期になると、同じ先生があの戦争は実は侵略戦争で、間違いの戦争だったと言うんだ。
新聞も全部、言うことががらりと変わった。
平気で変わるわけね。
そこで僕は、どうも大人たちがもっともらしい口調で言うことは信用できない。
マスコミも信用できない。
そして国家というのは
国民をだますものだと。
それが僕の原点。
そもそもこんな間違った戦争に日本が突入したのは、究極のところ言論の自由がなかったからだ。
だから、言論・表現の自由は絶対に守らなければいけないという気持ちをもっています。
朝まで生テレビをやった80年代の終わりから90年代初めは、まだ左翼全盛なんですよ。
そこで僕は、西部邁とか渡部昇一たちに出てくれと頼み込んで、「あなた方は悪役だけど」と頼み込んで出てもらった。
当時右翼は悪役だったんだよね。
今からするとなんだか夢みたいだよね(笑)。
―― 番組の進行では、時に語気を強めたり、出演者の発言を遮ったりすることもある。
あれはね、特に政治家はそうなんだけど、本音をごまかすんですよ。
本音をごまかして抽象論を言っていると「違うだろ」と、「そんなこと聞いているんじゃないよ」と。あるいはね、文化人なんかはついあがってしまって、自分でも何を言っているのかよく分からなくなっていることがあるわけ。
そういうときに「違うんじゃないか」と言うわけね。
僕は別に、朝生は何か結論を出すものじゃなくて、ともかく出演者に本音を言ってほしいと思っている。
―― 番組からは「朝生文化人」と呼ばれるような人々も輩出した。
それはありますよ。
最近で言えば三浦瑠麗(るり)さんは朝生がきっかけですよ。
それから宮崎哲弥も朝生ですね。
それから姜尚中も。
舛添要一は、マスコミで初めて出たのが朝生なんです。
みんな一部の人には知られていたけれど、まだ一般的ではなかった。
―― タブーなしのテーマで番組を続けるのが厳しいと感じたことは。
それはね、局が意外に理解があって。僕は朝生はテレビの解放区だと思っています。
あんまり局から何かを言われるというのはないね。
東日本大震災の前に、朝生では原発問題を3回やっていますよ。
―― これを言い過ぎると自分にとって損では、と思うことは。
この年になるとね、僕は損とか得って全く考えなくていいと思っている。
若い人がね、こういうことをやると将来自分にとってマイナスになるってことはあるかもしれないけど、僕なんか将来ないんだから。損得は全く考えません。
もう、その方が楽なんですね。
―― 番組30年の感慨は。
30年で終わろうとは思っていません。
僕は、朝生で田原が静かになったのでよく見たら死んでいたというのが理想の死に方だと思っているんです。
―― 若い世代に後を継ぐ人が見当たらない?
いやいや、そんなことはない。
質が変わると思います。
僕は戦争を知っている世代ですよね。
その世代の戦争観と、知らない世代の戦争観は違うと思います。
僕は自衛隊が戦わないことがいいと思っています。
でも知らない世代は戦える自衛隊にするべきだと。
―― 元気の秘訣(ひけつ)は。
一つはね、僕は能天気だから悩まない。
悩んだってしょうがないんだから。
それと好奇心が強い。
僕は才能はないけど好奇心だけは強いと思っているんですよ。
今ね、新聞を6紙とっていますよ。
なぜかというと、6紙を読むと違いがあるんですね。
違いがあると疑問がわいてきて、書いた記者やしゃべった政治家や学者に必ず1次情報を取材します。
僕は人と会うのが大好きで、やっていることを「仕事だ」と思っていないんで。
仕事だと思っていたらつらいでしょうね。
(聞き手・佐藤剛志)
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