水曜日の夜は、いつものように、伝授。
関西方面にでかけているお弟子さんを除いて、
いつものように、じっくり、神仏との付き合い方などなど。
昨日、空手の練習の後に撮ったビデオで復習も。
祈りの純度を上げていくのは、ことのほか難しそうに思えて、実はシンプル。
そのシンプルさゆえに、悩むということもあるのでしょう。
昨日のご神託は、今までとさほど変わらず、
「今年の禊の風はますます強く吹き荒れる。
禊の風を味方に付けたものには、追い風となり、
それに吹き飛ばされるものにとっては、辛い風となるだろう。
すべては、本人のとらえ方次第」
といった内容でした。
お弟子さんたちは、それぞれ、全体的なお言葉以外にも
自分の進んでいる道に対して、お言葉をいただくのですが、
こうして、一人ひとりに言葉をかけてもらえる環境というのは、
何よりありがたく、何よりの気づきになります。
人は得てして、目の前の問題に対して小手先の解決法や、
できるだけ楽に通り過ぎたいという気持ちになるもの。
流した方が良いこともあれば、そこは、自分の信念に関わる問題、
という場合もあるのですが、問題そのものに心を奪われ、
うまくやっているつもりが、実は、その場しのぎになってしまっていることが
少なくありません。
自分の得意なことを活かして、うまくやり過ごすことができるというのは、
大事なことですが、譲ってはいけないことは、うまくやり過ごすことより大事。
優先順位を間違うと、うまくやり過ごしているつもりの間に、
実は迷子になってしまうことさえあります。
また、神仏の力を借りてまで果たしたい思いには、
きちんとした大義名分が必要です。
表面的な気持ちで、他人のためとか、○○のためとか思っていても、
神仏はそこにある人の思いなど、お見通し。
また、神仏の力は、自分の思いや願いを昇華していく中で、
自分の中から湧き上がって来るもの。
ですから、最近流行りのご集印帳の朱印を戴くというブームも
神仏との触れ合いの第一歩としてはあり、だと思いますが、
そこから先が、神仏の待つ世界へ入れるかどうかの境界線。
スタンプラリーにならないよう、自分の祈りを見つめ直すのも大事な視点。
また、日常を生きていると、いろんな価値観に出会います。
それぞれにそれぞれの価値観があり、それで結構ですが、
異なった価値観に出会った時、それを受け入れる時、
それはそれとして認める時、などなど、自分の中での価値観との相違は
身体的にもストレスになります。
ですから、ある程度の自分の中での結論が出るまで、
持ちこたえるだけの体力が必要にもなって行くのです。
もちろん、神仏と直接、接触するとなると、想像を超えた身体的な負担がかかります。
体力がないと、自分の気が乱れやすくなり、痛みや不調に心を奪われやすくなり、
そんな時、感じているつもりの神仏は、そうした影響を受けた
頭で考えた神仏であることが多いのです。
当然ながら、神仏は頭で理解するだけの対象ではありませんから、
なかなか近づけない、ということが起こってしまうでしょう。
けれども、同時に、あちこちぶつかりながら、こうじゃない、ああじゃない、
という工夫の中に、人の成長も含まれているのですから、
あちこちつまずきながらも、目指すところを間違えていないか、
確認することが大事になって行くんでしょうね。
ご神託を戴きながらも、その言葉をそのまま、というより、
神様の意識を感じ取ることの中で、学べることが沢山あり、
それこそ、こうした環境にあることが、何よりありがたいと思っています。
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春はもうすぐ。
暖かくなったら、神仏をもっと身近に感じられる行事も目白押しです。
ひとつ、ひとつ、大事にしていきたいと思います。
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Adept・Mentor 島津相談室
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