今川義元は桶狭間の敗戦以来、無能な武将の酷評を受けるが実は相当、優れた武将であり、また政治家としても内政面に優れていた。
領国経営では父氏親が制定した分国法「今川仮名目録三十三条」に、修正を含めた二十一条を天文22年(1553年)に追加した。主従関係が不安定な戦国期、領主によほど力量がなければ成文化できない。
これは軍役、検地徴税、商業振興、訴訟など国統治の最高法規。分国法を制定したもので実行しやった戦国大名は今川氏ほか大内、伊達、武田、長宗我部ら八家にすぎない。
その検地が今回のドラマの中心になった。
義元の構想は、領国(駿河・遠江・三河)の民生を安定させ、三国同盟によって後顧の憂いなく上洛して衰退する足利将軍家を再建することだった。
勘違いされやすいが天下を狙うのではなく今川家は江戸幕府の御三家の様なもので将軍家に何かあれば補佐するか代わりに家格で、義元は無能でもなく運でなく情報戦など計算づくめの天才、織田信長の存在がなければ天下安定のために上洛し政治をとる資格のある家格だった
その検地も秀吉の太閤検地以前に既に実行していた優れた政治家で後の徳川家康もかなり参考にしている
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