■「山本五十六は開戦反対」展示 真珠湾のアリゾナ記念館
(朝日新聞デジタル - 12月28日 07:48)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4362082
近衞文麿から対米戦の見込みについて質問された山本五十六は、こう答えたらしい。
『初めの半年から1年ならば存分に暴れて御覧にいれましょう。しかし2年、3年となれば確信は持てません』
山本五十六は米国が相手では勝てない事を初めから分かっていた。
そして開戦からおよそ7か月後のミッドウェー海戦で、当時の日本海軍の中核を成していた6大航空母艦の内、4隻を一挙に喪失するという大惨敗を喫した。
その後、第一次ソロモン海戦など、日本軍が勝利を収める戦闘は幾つかあったものの、徐々に追い詰められていき、やがて圧倒的な物量の前に成す術も無く散っていった。
多くの将兵を負け戦に投じねばならなかった彼の気持ちは、どれほどのものだっただろう…
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