勝つために…ドラマで真田幸村が言ったセリフだが豊臣軍に徳川軍に勝つ方法はあったのだろうか
わたしはなかったのが現実だと思う。
大坂の陣で徳川を撃退する事は或は可能で良い条件で大阪藩を認めさせる事はできたかもしれない。戦闘センスのある真田幸村や後藤又兵衛といった浪人衆に強力な権限を与え淀の方と女官たちが口を挟まず秀頼が出陣すればだが
家康、秀忠の双方を戦場で討ち取ったとしても大混乱の戦場の中でその情報が敵味方に行き渡るとは限らず、幕府軍の大半が両御所(家康・秀忠)討ち死にを知らないまま、数の力で豊臣家の全戦力を壊滅させるくらいの数の開きがあった上に、徳川家康や秀忠が討ち死にした所で、肝心の徳川幕府そのものは江戸にあって無傷なのだから、変わりの将軍を用意すれば良いだけの態勢はできていた
戦いに勝てば、幕府は倒せないけど豊臣家は徳川家の遠戚に当たり、豊臣の家さえ残っていればそれなりの発言力は行使出来たし、秀頼と千姫の間に子供でも出来れば、秀頼や淀君の代では無理でもその子孫が将軍になりうる可能性はあったかもしれない
幕末まで雌伏し、倒幕派の旗頭となって倒幕を果たす可能性は長州、薩摩を見てもあったかもしれない。
現実的には伊達政宗が考案した様に倒幕でなくスペイン軍の力を借り、また切支丹を糾合して秀忠を隠居に追い込み、忠輝をたて執権政治を目指した方が大局的な勝利だったかもしれない。真田幸村は戦争は強いが大局的な政治センスはなかったし、もっと言えば秀頼の側近、淀の方はじめ誰も政治センスを持ちあわせていなかったのが全てだろう
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