あぁこれは、「家の死体だ」と思った。
間近に見た瞬間、理屈抜きに怖くて仕方なかったことを思い出す。「津波の威力を実感した」なんてのは後付け。
5年前の11月、南相馬市の海沿いの集落。(翌月の日記に書いた)、
この時の自分の不謹慎さが恥ずかしく、翌年、覚悟を決めて沿岸を歩くようにしたんだった。
この家の主が、昨日のNHKの震災番組でとりあげられていた。
いま43歳で、家にいた両親と幼い子2人が津波に流されて亡くなった。1歳の長男は遺体も見つからない。
悲しみを少しでも紛らわそうと、周りに菜の花を植えて、夏に追悼花火を打ち上げている。
原発事故直後に遺体捜索を阻まれた恨みから「殺してもいい」と思っていた東電の社員とも、交流をするようになった。
思い出が詰まったこの家を、ようやく今年の2月に取り壊したと。
…今年は一度も東北太平洋岸に行かなかった。
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