mixiユーザー(id:14005590)

2016年09月27日13:58

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ワンランク上のワクワクを。(CMみたい(笑))

最近ある事情で鬼太郎さんを自粛しておりました…。

そのせいか少し熱が落ち着いちゃったかなーとションボリしていたけれど、さっきたまたま聴いた熊倉バージョンのOPでまたボ〜ッと火がついてしまいました!あせあせ(飛び散る汗)
あーもうどうすんのよ〜泣き顔


3期にハマッたばかりの頃に原作や水木先生の他の作品を貪り読んでいましたが、あの頃は原作の鬼太郎ワールドを深く読み込んでいなかったなー、と今になって思うのです。
単純に3期アニメの鬼太郎さんが好きだった延長で読みだしたということと若かったからなどの理由も関係するのでしょうが、水木先生の描かれる世界観についていけてなかったな、と熊倉バージョンのOPを聴いて初期・2期を思い浮かべては考えてしまいました。
鬼太郎作品はそのシリーズごとに鬼太郎さんのキャラクターが変わり、テーマ(的なもの)も変わり、受け取る側はいろんな側面を見せてもらえます。そこから鬼太郎さんの思いや存在意義・価値、それを通してわたしにとっては自然との付き合いや日本人についていろいろ考えさせてもらっていましたが、初期・2期の鬼太郎さんの立ち位置について考えるとほんとに不思議なところにいるな、とふと思いまして。
「大海獣」の話の結末の鬼太郎さん…怒りもせず、「分かってくれればいい」と言って去って行く…とか、自分の存在を人間に伏せて戦っては去って行く、そんな鬼太郎さんをただ「アニメとは違う、器のでかい人」と思っていたけど、水木先生の世界観は単純にそうじゃないんじゃないかってようやく気付きました(さっき(笑))。
「地相眼」の時にびっくりしたあの感覚なんだろうなーと。「なぜ人は幸せに生きられないのか」の問いかけの「なぜ」の使い方が目からウロコでした。
今だったらもっと違った角度から原作鬼太郎を読むことができるかも、先生の世界観をつかむことができるかも、もっと深く鬼太郎さんを理解できるかも、といったワクワク感があって、原作をもう一度読み直してみようと思いましたぴかぴか(新しい)

もう鬼太郎さんはわたしにとって魔障だわーげっそり
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