mixiユーザー(id:19565687)

2016年09月11日20:19

213 view

NHKスペシャル ドラマ戦艦武蔵

のっけから、3連砲を一斉にぶっぱなしてやがるぅー
やめろー


おっと。


戦艦大和が沈んだとき、生き延びた乗員は傷病兵は海軍病院に送られ、退院とともに南方の前線に送られたようです
傷病兵でないものはすぐに激戦地へと送り込まれたようです。

これはドラマではなく学徒動員兵の証言です

実は戦艦陸奥が1943年(昭和18年)6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没したとき
まず、柱島からは岩国港まで定期便がでてるので、そこに一般人を装った憲兵を配置
島の住民が下船してきたところで、何気ない雰囲気で「大きな船が沈んだって?」と声をかけ、その話に乗って具体的な証言をしたり、爆発音を聞いたと答えたものは有無を言わさず拘束したそうです
また、岩国を中心とした沿岸ぶとちょっと山間部まで、呉〜徳山一帯が数ヶ月一時的にハガキしか郵便を受け付けなくなり、電話も制限を受けたといいます。
東京のマスコミなんどに事件が気づかれて素っ破抜かれるもそうですが、こうした情報が米国側に漏れるのを恐れたため、情報の操作をしようとしたといわれます

と、いうことで、このドラマではフィリピンに送られた…と

で、米軍に突撃をかけて負傷したので最寄りの陸軍野戦病院に収容された…と
これは良くあるケースでしょうね

とはいえ

大和と武蔵はお同じ海域で米軍の空襲を受けてました
最初は武蔵と大和が同じくらいに攻撃を受けていたのですが、やがて敵は武蔵に攻撃を集中しはじめました

深井氏の想像に寄れば…

http://ironna.jp/article/1062?p=5

深井 「大和」の艦長は船の操艦が上手かったんです。爆弾や魚雷を、巧みに舵を取ってよける、そういう操艦が上手だった。ところが、「武蔵」の艦長は、大艦巨砲主義の権化ともいえる海軍砲術学校の校長で、長いこと陸上で教官をやっておられたから操艦に慣れていなかった。だから爆弾が落ちてきても上手く避けられなかったんでしょう。それに「武蔵」は新しくできた艦で、乗員がまだよく訓練されてない。ところが「大和」のほうは古いから、乗員も訓練されている。その差で「武蔵」は被害を受け、「大和」は生き残ったんです。

栗田艦隊は、落伍した「武蔵」を残して東に向かったんですが、さっき申し上げたように、航空隊の効果が出るまで待つということで西に向かってひっくり返してきた。その時、「武蔵」がもう沈みかけていました。「大和」「武蔵」というのは、舳先がスッと上がってるんです。甲板よりちょっと坂になって上がっており、その上がった先に菊の御紋章がついている。御紋章から白波が立つでしょう。あの白波が御紋章の下からザーッと出て、後ろの甲板はもう水に浸かっていた。それでも「武蔵」は走っていました。

僕らはその状態を見て、これはもう駄目だと思ってました。「武蔵」は、命令により台湾、中国間の群島にある馬公の海軍基地へ向けて航路を取っていたのですが、力尽きて、ついにシブヤン海に沈んだのです


さて、どらまとしたらちょっとした短編集でした。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する