mixiユーザー(id:38449523)

2016年09月05日00:20

168 view

宇多丸を見習って「進撃の巨人(前編)」を批評する

映画を見た後その感想をメモりたいけど、なんかメールの下書きに書きためると読み返さないのでミクシーの日記に書いてる。

自分のメモ帳よりも、もしかしたら「誰かが見ているかもしれない」状況の方が文章をちゃんと書ける。

今回のメモは、俺の中の低評価かつ高評価作品である実写版進撃の巨人


映画を見終わると気分が悪くなった。
本当に気持ち悪くなった。

だから、帰りの時駐車場で車の中でしばらく休憩してた。

映画の2/3くらいは巨人が人間を襲うシーンに使われている。
ロードオブザリングの第2編では、同じくらいの割合で戦闘シーンで白熱する展開だったのに対して巨人のシーンは「またかよ・・・」という感じ。

とにかく、グロい。
「グロい」と思わせるような、人がおもちゃのように扱われ死んでゆくその姿に衝撃を与えたかったんだと思う。そういう意味では狙い通りのシーンだ。
しかし、限度がある。

昔、多重人格探偵サイコの作者が
「人の死は数字じゃない」と言っていた。
まぁ、その作者もかなりのグロさでキャラクター殺してるけど。

人の死は、アニメだろうが小説だろうが事実だろうが簡単に表せるものじゃないんだと、そういう意味だと思ってる。だから、人が死ぬという表現にはしっかりとしたメッセージなりを含ませるべきであると。

そう考えると、この映画における人の死はあまりにチープだと思う。
人間は弱い、この世界の人間は死と隣り合わせ、死がその人だけでなく親しい人からも大事なものを奪う、などなど伝えたいことがあるんだろうけどあまりに安直な表現で、更に納得のいかない状況下での出来事に見てる俺としては引いてしまう。

上官「夜は巨人も寝てるから大きな声出すなよ!絶対出すなよ!」

ミサカが変な男と仲よさそう、もう俺の知ってるミサカじゃないかも。。。

主人公、ショックのあまり夜中の荒野で「うわああああ!!!!!」と吠える。

巨人襲来

見てる側としては上官の執拗な警告を聞けば、なんとなく夜でも戦闘起きるのは予想できてるけどさ、あまりに直接的すぎないか?
しかし、評論は否定する前に肯定しないとただの悪口なのでこのくだりをとりあえず受け入れないと。。。
主人公はそれほどショックだったんだろう、戦友の命より自分の命よりミサカが好きで、助けたいと思っていたミサカが変わってしまった状態で再開したことで目的を見失ってしまった。半ば「どうにでもなれぃ!」って気持ちで溢れたんだろう。肯定すべき、いや、同情すべき点はそこだ。

しかし・・・
「駆逐してやる!全部駆逐してやる!!」など、感情的な性格の持ち主だって事は原作でも説明されている(映画では特に説明的なシーンはないので、原作のキャラクターをそのまま切り取っていると考えることができる。)。それならば、そのシーンでは怒りの感情に支配されながらも母が殺される姿を見ながらも、逃げる選択ができた。それは、恐怖が勝った事ももちろんあるが自分じゃ勝てないとしっかり判断したからであろう。
劇場版で振り返ると、ミサカに対するショックも行動にまでは出さないキャラクターとも考えられてしまう。大声を出すほど後先考えない性格ではないように作られているはずだったのに・・・。


あと、なんかよくわからないけどコナンのゲンタみたいなキャラが巨人を一本背負で倒すシーン。あと、石原さとみがちょっと間抜けな研究者として登場するシーン。あれだけ巨人の捕食シーンで戦慄したあとにギャグ要素が入ってきた時の「ああ、お粗末やわ」って感じがたまらなかった。
結局あれだけの人が死んだのに危機感を持って巨人と向き合えていないのだろう。それはそんなキャラクターを通じてスタッフの、この作品に対するスタンスが垣間見れるところだった。
でも、これを肯定的に捉えるとするとスタッフのメッセージも見えてくる。
つまり、進撃の巨人ファンに対して「これだけ命の危機が迫っているにもかかわらず、これだけシリアスな内容にもかかわらず、進撃の巨人に「かっこいい」だとか「かわいい」だとかで盛り上がって、本筋から目を背けているのはお前らなんじゃないか?」という投げかけっだったのではないか。

否定的に捉えるのは簡単だけど、先述した通り制作側の意図も想像しないうちに文句をつけるのは間違っている。想像した上で、否定をするべきだ。本来批評は「批判と評価」の略称だ。

制作側のメッセージが少し想像できたところで、全体的なメッセージもなんとなく想像できた。
あれだけのグロテスク、一方的な殺戮、ラブストーリー、情緒不安定、からのさらなる捕食。それでも、お前らは「進撃の巨人」は「かっこいい」とか「かわいい」とか「リヴァイ萌え」とか言ってんのか?ちゃんとこの作品に向き合っているのか?原作者は何を伝えたいのか想像しながら読んでいるのか?という投げかけだ。
更に言うと「お前らの好きってのはその程度か?」「好きなものなら無理にでも詰め込んでやろうか」という挑戦に感じる。
今や、視聴者は一つの組織となりネットの書き込み一つでその会社を営業停止に追い込むほどの力を持っている。酷評と揶揄すれば売り上げはい落ちるし、何かに魅力を感じ、それを祭り上げればアニメなどに続編が出てくる。制作側にとっては、個々の顧客ではないいわゆる巨人だ。
だからこそ、この有名で人気のある作品で色々な方法で問題を投げかけているんだろう。
原作と違う節があったとして、それは是正されなければならない。見る側の都合でその作品を酷評するのはおかしいことに、なぜ気づかない。

進撃の巨人は、少なくとも俺にとってはクソな上で明確なメッセージがあると考えている。
でも、そういった事に気付けない視聴者を嘆くにはもってこいだし、同時にそのメッセージについて表現が足りなかったと評価をするのにももってこいだ。「勘違いされたら、もうそれは嘘をついていることと同じなんだよ」と誰かが言っていた。

俺の想像も勘違いなのかもしれないけど。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する