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2016年08月01日13:19

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以前服屋にて

春先ちょっと寒さを凌げる上着を探していたところ、
店員さんからやたらジャケットやらスーツやら勧められたことがあった。
仕事柄そういうものは滅多に着ないので、今ある分で足りている。
そう言って断ったら目的に適うものを幾つか見つけてくれたのだが、

「スーツなんて結婚式くらいでしか着ないのでしょうし、こちらのものなど如何でしょう」
と言われた。

スーツなんてという言い方が少し気になったというか、
何か店員さんの表情が困ったような、あるいは少し蔑むような愛想笑いだったのもあって、
「高いもの買えるような人じゃないんでしょう」
と言われているようで何かちょっと嫌な感じだった。

ただそれより嫌だったのは、そんなしょうもない感じを(正誤いずれにせよ)汲み取ってしまう私自身の浅ましさだ。

相手の表情や言葉尻にその種の軽蔑を感じ取ってしまうのは、
私がその種の軽蔑という概念を持つ人間であることを意味する。
ちょうど、卑猥な言葉を理解できるのは、卑猥な言葉に触れてきた人物だけであるように、
この種の品のなさを理解できるのは、この種の品のなさに触れてきた者だけだろう。

いや、理解できるだけならよい。

私はいろいろな人に接する仕事をしているので、触れる機会はあるし理解する必要もある。

ただ、そこに不快感を感ずる者ではありたくない。
その時の私の感情の動きは、
「あ、高いもの買えない立場の人と軽侮されているな。実際にはそこそこ高給取りなんだけどな。
買えないんじゃなくて要らないだけなんだけどな。勘違いで軽侮されるのってなんか嫌な感じだな」
という訳で、軽侮されたことへの不快感よりも、
軽侮されたと感じた上で抱いたつまらない自尊心だ。

私はそんなしょうもないことに感情を動かされるような器の小さい人間ではありたくない。

しかしながら現実にそんな軽侮を勝手に感じ取って少しく不快感を覚えてしまったのは、
間違いなく私の器量の小ささだろう。

その辺、私自身が嫌になる。



関係ない話でごめんね。


■洋服を買う時に販売員からの“刺さる言葉”は? “私も持っています”は逆効果
(OVO [オーヴォ] - 08月01日 11:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=201&from=diary&id=4121710
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