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2016年06月29日13:39

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民族虐殺テロ地獄を堀崩せ!

自国民「八千万」虐殺餓死させた中国共産主義者の犯罪!
http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=a5QYHN5ssx0
〔「日本経済新聞」H26.11.23『読書』欄〕
{モンゴル人虐殺の真相を暴く}
満洲の親日派!
http://m.youtube.com/watch?v=cFbleGQjUAg&sns=gr
[楊海英(やん・はいいん)静岡大学教授「ジェノサイドと文化大革命」勉誠出版]
「文化大革命は当時公式には「階級闘争」とされたが,内モンゴルでは「モンゴル人」が虐殺の対象となった.これはまた,中国共産党政府によるモンゴル人の民族自決運動と日本統治の経験に対する過去の清算を意味するのだという」
「1966年5月の文化大革命開始と同時に,内モンゴル自治区の最高指導者ウラーンフーが失脚に追い込まれた.ウラーンフーは,内モンゴル西部出身の「延安派」で,かつて主に東部出身の「日本刀をぶら下げた奴ら」からなる「内モンゴル人民革命党」の民族自決運動を抑え込み,中国にとどまることを選んだ.しかし,共産党指導部は謀略によりその彼を「反党叛国集団のボス」,さらには「内モンゴル人民革命党の最高指導者」に仕立て上げ,すべてのモンゴル人幹部へと粛清を拡大した.これは,当時中ソ対立が戦争に発展することを警戒していた中国の指導者たちが,「反修正主義の最前線」に位置する自治区の権力をモンゴル人幹部たちから奪うためであった」
「「内モンゴル人民革命党員粛清運動」は,一般のモンゴル人にまで拡大された.本書で繰り返し描写される,筆舌に尽くし難い虐殺,拷問,性暴力の直接の加害者は,末端の幹部たちと「毛沢東思想宣伝隊」に組織された兵士,労働者,農民たちであった.しかし,彼(女)らの民族的偏見や恨みを煽り,自白の強要によって虐殺を拡大させたのは,現地に送り込まれた中国人幹部たちであった.著者はまた,現地の幹部たちが毛沢東の忠実な部下であった康生,周恩来らからたびたび指示を受けていたことを資料で裏付ける」
「その後,モンゴル人大量虐殺は,「林彪・江青反革命集団」が惹き起こしたものと矮小化され,加害者たちが裁かれることはなかった」
「署名が示唆するように,著者はこの民族虐殺を「単なる文化大革命中の暴力の結果」とは見ていない」
「前著に続き,本著の内容からはこのような歴史の歪曲・隠蔽に抗おうとする著者の強い意志が伝わってくる」
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